大晦日の夜に-8
「今度は何の話が始まったんだ?」
亮太はゆったりと珈琲を飲みながら、頬杖をついて美咲を見つめている。
その落ち着いた様子に腹が立って仕方がない。
「だって、付き合って3年よ? なのに、まだ手も繋いでくれないじゃん! キスも何もしてくれない! こんなの、絶対変だもん」
「おまえ、声デカ過ぎ。恥ずかしいだろ……そういうのは、こう、チャンス無かっただけっていうか。いつも外で会うときは兄貴たちと一緒だったし、家は親がいるし」
「おねえちゃんたちは人前でもしてるもん。腕くんだり、チューしたり」
「あれは、あいつらが変なんだって。だいたい、そういうことって軽々しくするものじゃないだろ。でも、おまえがしてほしいなら」
「べ、べつに、してほしいなんて言ってない。別れるのにキスしたって意味ないじゃん。ほら、いいから早く言って」
「いや、俺は」
「もったいぶらないで、早く」
「んー、じゃあ言うけど」
「わあああ! だめ、やっぱり無理!」
「無理ってなんだよ。相変わらず面白いやつだな」
美咲は顔を真っ赤にして泣いているのに、亮太は肩を震わせて笑っている。
「なによ、なんで笑うの」
「おまえこそ、なんで泣いてるんだ。俺、別れたいなんて一言も言ってないのに」
「だ、だって、あんな顔して……ふたりきりで話があるっていうから」
「そりゃそうだろ、兄貴たちの前でいきなり『結婚してくれ』なんて言えると思うか?」
「だからそんな……え?」
「俺は結婚したいんだ、おまえと。もうこれ以上、離れたままでいたくない」
「け、けっ……こん?」
美咲が両目をぱちぱちと瞬かせているうちに、今度は亮太の頬が少し赤くなった。
信じられない。
どうしよう。
わたし、もしかしてプロポーズされちゃった?
灰色だった胸の中が一瞬で明るい桃色に塗り替えられていく。
「まだ早いかなとも思うけど。俺もまだ25で、おまえも今年働き始めたばっかだし。でも、このままじゃちょっとな」
「ちょっとって、何?」
「うーん、クリスマスのときに思ったんだ。いつまでも美咲に寂しい思いさせたくないって。それに、あんなに怒ったり泣いたりするくらい俺のこと想ってくれる女なんて、おまえしかいねーし」
「そ、そんなこと言って……ほんとは亮太が寂しいだけじゃないの?」
「まあ、それもある。でも嫌なら」
「い、嫌だなんて、言ってないでしょ! でも」
「ん?」
「わたし、ワガママだけどいいの?」
「知ってる。そのままでいい、でもわかってるならちょっとは直せよ」
「それに、すぐ怒るしすぐ泣くし、部屋とか片付けるの苦手で料理もダメだけど」
「それも知ってる。毎日おまえの顔が見られるなら、べつに何だっていい」
「ほんとに、ほんとにわたしと結婚したい?」
「ああ。だけど兄貴みたいに高い指輪とか買ってやれないし、俺についてくるならおまえの大好きな姉ちゃんとあんまり会えなくなるぞ。それでもいいのか?」
「亮太といられるなら指輪なんていらない! お、おねえちゃんとは……うう、電話、そう、電話で毎日話すから」
そのとき、あはは、と大きな笑い声が美咲の後ろから聞こえてきた。
何かと思って振り向くと、ついさっき旅行に出かけたはずの葵と聡がげらげらとお腹を抱えて笑っている。
「美咲、あんた結婚してからも毎晩わたしに電話してくるつもり? 仕方のない子ね」
「お、おねえちゃん? 聡くんも、どうして」
「いやあ、さっきはずいぶん重い雰囲気だったから。君たちの兄姉としては、あの後の展開が気になってね。こんなことだろうとは思ったんだけど」
こっそり後をつけてふたりの様子を見守っていたんだ、と聡はまた笑った。
のぞくなよ、変態、クソ兄貴、と亮太は赤面しながら悪態を吐いている。
葵はにっこりと微笑んだまま、美咲の隣に立ってぽんぽんと肩を叩いた。
「それより、亮太くんにまだきちんと返事してないでしょ? 心が決まってるなら、はっきり言わなくちゃダメ」
「わかってる、もう、おねえちゃんたちはあっちに行っててよ!」
ぐいぐいと葵をおしのけながら美咲はテーブルに身を乗り出し、亮太にだけ聞こえるくらいの小さな声で囁いた。
「わたし、亮太と結婚する。それで、ずっと、ずっと一緒にいたい」
「うん。俺、一生大事にするから」
亮太の顔が耳まで赤く染まっていく。
ぎゅっと握られた手が、火傷しそうに熱い。
少し離れたところで、葵と聡がパチパチと拍手しているのが見えた。
なんだか、こういうのって照れくさい。
だけど、ほんとに素敵。
大好きな人たちに囲まれている幸せを胸いっぱいに感じながら、美咲はそっと亮太の手を握り返した。
(おわり)