大晦日の夜に-6
「ほら、美咲。あの階段の上、亮太くんじゃない?」
葵の声に顔を上げると。
ホームから降りてくる人の流れの中に、たしかに亮太がいた。
いつもの着古したジーンズに黒いダウンジャケット、寝癖がついたままの髪。
肩には大きな旅行用のバッグ。
遠目から亮太の姿を見ただけで、嬉しさと不安と焦りで頭の中が爆発しそうになった。
そういえば鏡で身だしなみのチェックをするのを忘れてた。
どうしよう。
久しぶりに会うのに、変な格好で会いたくない。
美咲はにわかに挙動不審になり、涙目で葵にすがりついた。
「お、おねえちゃん、鏡! わたし、髪とか変じゃない? コートの後ろ、シワになってたりとかしない? ていうか、このコートにブーツってやっぱりおかしい? あ、あ、目元もマスカラ落ちてないかな、パンダ目になってたら最悪」
「いまさら何言ってんの。あんなに朝から何時間も頑張って準備したんだから可愛いに決まってるでしょ。メイクも崩れてない。自信もって行っておいで!」
とん、と背中を押されて美咲は一歩踏み出しかけたが、どうしてもひとりで亮太に駆け寄っていく勇気が持てなかった。
「やだよ! おねえちゃんたちも一緒に来て、だって怒ってるもん。絶対、亮太すごく怒ってる」
「だったら謝ればいいだけでしょ、ごめんなさいって。簡単なことよ」
「謝ったって、もう許さないとか言われるかもしれないじゃん! ほんとに別れるとか言われたら……あああ、やっぱり来なきゃよかった、もう帰る!」
「馬鹿言わないの、逃げたって何も解決しないでしょ。あ、亮太くーん!」
葵が大きく手を振ると、亮太はすぐに気づいたようで押し寄せてくる人波をかき分けて美咲たちのほうへ走ってきた。
不機嫌そうな顔。
心臓がぎゅっと締め付けられるように痛くなる。
脚が震えた。
聡と葵は満面の笑顔で『元気だった?』『久しぶり』と亮太に声をかけているが、美咲は葵の背中に隠れながら亮太の汚れたスニーカーばかり見ていた。
亮太はふたりへの挨拶もそこそこに、葵を押しのけるようにして美咲の正面に立った。
「美咲、ちょっとふたりだけで話せるか」
「え……うん。いいよ」
本当は『嫌だ』と言いたかったが、美咲は平気な顔を装ってつんと横を向いた。
なにがおかしいのか、聡と葵はクスクス笑っている。
「じゃあ、わたしたちはもう行くね。美咲、ワガママ言って亮太くんを困らせちゃダメよ」
「子供扱いしないでよ、どこにでもさっさと行けば」
これも嘘。
おねえちゃんがいないときに深刻な話なんてされたくない。
行かないで、と姉のコートの裾にしがみつきたかった。
そんな美咲の心を知ってか知らずか、葵と聡は仲良さそうに腕を組んで駐車場のほうへとどんどん歩いて行ってしまう。
こんな日に旅行なんて、ほんとやめてほしい。
泣きたくなってくるのを我慢して、美咲は手に持ったままだった飲み物のストローに口をつけながらおそるおそる亮太の顔を見上げた。
身長は聡よりも少しだけ亮太のほうが高いかもしれない。
聡によく似た顔立ちだが、切れ長の目にはややきつい印象がある。
それでも機嫌のいいときはどことなく表情が和らいで見えるときもあるが、今日はどこからどう見ても怒っているようにしか見えない。
ごめんなさい、と言いたくても、言い出すタイミングがうまくつかめない。
美咲が黙っているうちに、亮太は肩を落としてため息をついた。
「まだ怒ってんのか。これでも急いで帰って来たんだぞ」
「お、怒ってないよ。だけど、亮太が」
「とりあえず、どこか店にでも入るか? ここじゃ寒いだろ」
「う、うん。亮太が……そうしたいなら」
胸の奥がずきずきする。
やっぱり、いつもと何かが違う。
亮太は自分から店に入ろうなんて言わない。
昔から、レストランやカフェの雰囲気が落ち着かなくて苦手だと言っていた。
ぶらぶら街を散歩しながらおしゃべりしたり、どちらかの家に行ってテレビを見ながらコンビニのおにぎりやお菓子を食べたり、そういうのが好きなはずなのに。
もう美咲とは一緒に歩きたくないということなのだろうか。
お互いの家で遊んだりするのも、やめたいと思っているのだろうか。
いろいろ考え始めると、また話すのが怖くなってきて、美咲は口を閉じたまま前を行く亮太の斜め後ろを気まずい思いのままとぼとぼと歩いた。