宴 〜忌憶〜-8
8 「そうね。こんな子、飼育するんじゃなかったわ」
響子が離れて少し時間が経つと、智佳の鳴咽が少しだけ治まった。
「……して?」
「ん?」
「……どうして?」
智佳の泣き腫らしたまぶたに、胤真は優しく舌を這わせる。
「優しく、しないで……私、そんな資格ない……」
また、涙が溢れて来た。
「あんな事を忘れて、別れさせられたからってずっと胤真を憎んでたのに……最低よ、私……」
その言葉に胤真は答えず、涙を啜り取る。
「事あるごとに弱みがどうのと繰り返してたのだって、かけた暗示を強化するためなんでしょう?」
「……」
「ねぇ、お願……答えて……」
胤真は微笑み、智佳を抱き締めた。
「どうしてっ……どうしてこんなに、優しいのよぉっ……!」
その胸にすがりながら、智佳はまた泣いてしまう。
「私、私っ……優しくされる資格、ないのに……!」
「………………さ」
胤真は、小さく囁いた。
「え?」
小さ過ぎて聞き取れず、智佳は問い返す。
「俺もあいつと同類だから、さ。俺も理性がキレて、あの時嫌がるお前を犯した……」
「!」
智佳は、首を横に振る。
「今は……胤真に抱かれるの、嫌じゃない……でも、あいつは違う」
「智佳……」
犯されているのではなく、抱かれている。
智佳の表現が、胸に染みる。
「私……も、無防備なのが悪かったと思う。けど、押し倒されて抵抗したからって……殴られるとは思わなかった」
智佳は、胤真にしがみつく。
「ねえ、胤真……?」
「ん?」
「どうして……そんなに優しいの……?どうしてそんなに、優しくしてくれるの……?」
好きだから。
そう告白できれば、どんなにいいか。
だが今は、その時ではない。
「……教えられない」
今言えば、まるで同情しているように感じるられるだろう。
「……そう……」
胤真は、智佳から離れた。
「こんな状況じゃ、ここにいる意味はない。送るから、家へ帰ろう」
家に帰った智佳は、お風呂に入っていた。
「ふ……」
深呼吸すると、お気に入りの入浴剤の香りが胸に満ちる。
浸かっていた浴槽から体を上げ、作り付けの姿見に自分を映してみた。
―四年前の傷が、ダブって見える。
記憶を封じ込め、曖昧にし、傷をないものにしていた自分は、はっきりと見ていないはずなのに。
両頬には、広範囲に紫がかった青痣。
肌の上に刻まれた無数の無残な歯型に、ところどころ血が滲む。
処女を奪われた証が太股を赤く染め、濡れてもいない秘所をかき回された代償の、疼痛が走る。
ゾクッ……
悪寒が、背筋を走り抜ける。
「……ぅえ……」
浴室の床にしゃがみ込み、智佳は鳴咽を漏らした。
「……まぁ……胤真ぁ……」
胤真が恋しい。
今あの腕に抱かれていれば、どれほど自分は安らげるだろう。
「……いたいっ……会いたいよぉっ……」
何故好きになった男から、こんな仕打ちを受けねばならなかったのか。
みじめな思いが、胸中を支配する。
『智佳?』
その時、母の声がした。
「な、何?」
努めて、平静を装う。
泣いていたと知れたら、両親に無用な心配をかけてしまう。
『ご本家の胤真様から、お電話よ。どうする?』
「胤真……から?出る!!」
『はい』
浴室のアコーディオンカーテンが少し開き、子機の電話が差し出された。
引ったくるように受け取り、智佳は電話に出る。
『智佳?』
「かず……まぁ……」
声を聞いただけなのに、智佳は泣き出してしまった。
『家に帰ってから、やっぱり一人にするべきじゃなかったと思って……智佳?』
しゃくり上げながら自分を呼び続ける智佳の声に、胤真は反応した。
「……いたいっ……胤真にっ……会いたいよおっ」
『ッ……今から家に行く!待ってろ!!』