08.氷解-1
八《氷解》
話を聞き終わった嶺士はひどく切なそうな目をして横に座った亜弓の目を見つめた。
シンチョコの喫茶スペース。テーブルに向かって並んで座った嶺士と亜弓、その向かいにユカリとマユミ。
「亜弓……誤解してすまなかった」
「ううん、誤解なんかじゃない。あたしが智志君と浮気しちゃったのは事実だし……それに、あなたにすぐ正直に話さなかったあたしが悪いの。赦して、嶺士」
「いや、おまえの判断は正しい。この事実をあのすぐ打ち明けられても、俺逆上していて本気にできなかっただろうからな」
「頭を冷やす時間が必要だったってことね」前に座ったマユミが言った。
「だけど」ユカリが遠慮なくため息をついて、飲んでいたコーヒーのカップをソーサーに戻した。「そのせいであたしは昨夜嶺士にレイプされたのよ」
「レ、レイプなんかしてないだろ! どっちかって言うと俺の方が……」嶺士は真っ赤になった。そしてすぐに横にいる亜弓の手を取り、眉尻を下げて言った。「ご、ごめん、亜弓、俺、ユカリを勢いで抱いてしまった」
「知ってる」
「へ?」
「ユカリ先輩が気遣ってくれて、そういう流れに持ち込んでもらった、ってとこかな」
「な、なんだって?!」
「言ってみればグルなのよ、あたしと亜弓」
亜弓が申し訳なさそうな目を嶺士に向けた。
ユカリが言った。「嶺士が自棄になって誰か他のオンナとそういうコトになれば、お互い様ってことで気が楽でしょ?」
「なにい?! おまえそういう企みが……」嶺士はユカリを睨んで歯ぎしりをした。そして亜弓に目を向け直し、言った。「亜弓は知ってたのか? ユカリがそういうつもりでいたってこと」
「ユカリ先輩、昨夜ホテルから電話して教えてくれたの」
「おまえ、それ聞いて何ともなかったのかよ」嶺士は早口で言った。
「ユカリ先輩じゃなければ暴れてたかも」
「な、なんだよそれ」嶺士は面白くなさそうにはあ、とため息をついて椅子に深く座り直した。
「まんまと引っかかっちゃったわけね、嶺士君」マユミがにこにこしながら言った。「やっぱり後ろめたい?」
「当たり前だろ! 妻を差し置いて他の女と寝たんだから」
「それはあたしも同じ……」亜弓が小さな声で言った。
ユカリが人差し指を立てて言った。「あのさ、あんたたちが浮気した智志やあたしはそば屋のカレーみたいなものなのよ」
隣のマユミが思い切り変な顔をしてユカリに振り向いた。「何よ、その喩え」
「ひどくお腹が空いてる時に行きつけのそば屋に入ったけど、いつもとは違う味わいがほしくてついカレーを食べてしまった。でも、やっぱりそばの方が安心して食べられるから、次からはやっぱりそばにしよう、って後悔する、ってことよ」
「おもしろい」マユミが言って小さく拍手をした。
亜弓が言った。「じゃああたしや嶺士はお互いにとってそばなんですね」
「そういうことね。でも、いつも同じじゃ飽きるから、肉とかエビ天とかのトッピングを変えたり、ざるにしたりするのよ。それでも元は同じ出汁だから食べた後の満足感や充実感はカレーの比じゃない。そうでしょ? 嶺士」
「昨夜のおまえは激辛カレーだったよ」嶺士が口を尖らせて言った。「でもユカリの言う通りかもしれないな。亜弓が一番満足する。抱いてる最中も、何より終わった後の余韻の気持ちよさが違うよ」
「あたしも」亜弓が恥ずかしげに言った。「嶺士じゃなきゃ反応しない場所がたくさんあるのに気づかされた」
「亜弓は嶺士以外の経験は何人?」ユカリがにやにやしながら訊いた。
嶺士は固唾を飲んでじっと亜弓を見つめた。
「初めての人は短大の時の同級生」
「どんな人だったの?」マユミが訊いた。
「普段は静かな人だったけど、その行為は結構激しかったんです」
「気持ちいいsexだった?」
「初めての時はやっぱり痛くてだめでした。なんでこんなことするんだろう、ってあたし泣いてました」
横の嶺士が切なそうな顔をした。
「あたしもそうだったなー。嶺士に初めて突っ込まれた時は痛くて痛くて、涙も出なかったわ」ユカリがわざと大きめの声で言った。