「大好きな兄の彼女さん」-1
「寂しそう」
何かが壊れそうなくらいに気持ちが澄んでいた。大声で叫び出したいくらいに、泣き出したいくらいに落ち着いていた。ううん、僕は喜んでいたんだ。
邪魔なあいつが、居なくなって。
「すごく、苦しそう」
「そんなことないよ」
僕へと手を伸ばしてくる彼女の、柔らかい手を握り返す。何度も願って、何度も叶わなかった彼女の温もりを、僕のこの手が感じていた。
きっと今の僕は、嬉しくて笑っているに違いない。
「今の僕、笑ってるだろ。連絡を受けたってのに、病院にも行かず、真っ先にここに来たくらいだからさ」
「……でも、凄く寂しそうに見えるよ」
そう言ってくれる彼女の向こうの鏡に映る、僕の口元が緩んで、頬も持ち上がっていた。悪魔のような残忍な笑みだ。
僕の中にあったこの、淡く荒んだ気持ちを押し殺し続けた日々。二日ほど前までは、苦しみでしかなかった気持ちが、嘘みたいだった。
僕はやっと、僕になれたんだ。
「ありがとう。でも……」
彼女の手を強く握り締めながら、僕はまじまじと見つめてくるクラスメートの視線を受け止めきれず、視線を逸らす。
「兄さんが死んだのに、笑ってるんだぜ? 最低だろ」
自分でそう告げながら、だったら何でここに来てこんなことしてるんだと自分自身に聞いてやる。答えは一つ、この目の前の人が好きだから。
「でも、来てくれたから。りゅう君、優しいよ」
僕の大好きな、兄さんの彼女がそう言った。
病弱だった兄さんが部活中に倒れた時、隣に居たのは彼女である帆山だと、先生から聞いた。病院に搬送される時も一緒で、家族の誰もが間に合わなかった時、唯一、兄さんの隣に居続けてくれた彼女が学校を休んだとて、誰が責められるのか。
大好きだった彼氏を、目の前で失った帆山。彼女の家へ駆け出した僕は、泣きじゃくる帆山を想像していたのに。
「優しいわけないだろ」
僕を出迎えた帆山は、僅かな哀しみと笑みを浮かべて、僕を迎え入れてくれた。だから僕は嬉しくて、舞い上がっていた。兄さんが死んだことよりも何よりも、彼女が僕を必要としてくれていることに、必死になっていた。
隠していた気持ちが、波のように押し寄せてくる。
「……哀しいわけないだろ、僕は帆山が……」
喉の奥まで出掛かった言葉が、帆山の笑みに止められる。
「私が、なに?」
僕の胸に寄り添ってくる帆山が、僕を潤んだ瞳で覗き込んでいた。その顔には寂しさと同時に何かに対しての懐かしさが見えて、帆山の気持ちが、僕の向こうを見ているような、気がした。
言葉が、喉の奥で引っ掛かる。出そうで、出せない、その一言。
「帆山が……」
「好きよ……り……ゅう君」
帆山の唇が僕の唇へと近付いて来て、吐息が僕の身体と、頭の中へと浸透していく。喉に焼き付くような熱が零れ、僕の中の、理性が崩壊していく。
僕の腕が帆山の肩を抱き、彼女もされるがままに寄り沿ってくる。二つの制服が重なり、僕の気持ちを、彼女の気持ちを隠すように擦れ合っていく。
帆山を抱きながら、僕は果てる最後の最後まで、彼女の唇を何度も奪い続けた。その唇が、僕ではないあいつの名前を呼ばないように。
「好き、りっ……んっ」
このか細い体躯を抱いているのが、兄ではなく弟の僕であることを……帆山が理解していると信じて。