陽炎に消えた少女-2
「櫻井先生、そのくらいで許してやったらどうですか?」
そんな声が突然、運転席から聞こえてきた。いつもと少し雰囲気が違うけれど、遥香にとっては馴染みのある声だ。
「現地に着いたらいくらでも楽しめるんですから、今は体力を温存しておいたほうがいいと思いますよ」
「まあ、それもそうかもしれないな」
口から加齢臭を放ちながら櫻井は手を引っ込めた。その指には愛撫の名残がべっとりと付着している。
ワンピースの乱れを整えた遥香は、虚ろな目でバックミラーをのぞき込んだ。一瞬、運転席の男と目が合った。
車のハンドルを握っているのは、遥香のクラスの担任でもある川島だ。
彼を含めた四人を乗せ、車はいよいよ目的地の高原へと到着する。
車から降りた途端に心地良い風が吹き抜けた。風は遥香の長い黒髪をやさしく撫で、ワンピースの裾を上品に揺らした。すぐ目の前が湖で、湖畔に宿泊施設のような茶色い建物がある。
あれが俺の別荘です、と言って川島が自慢げに指を差した。残りの者も同じ方向を向き、思い思いの感想を述べる。
ただ、遥香だけは浮かない顔をしていた。
一週間ほど前、電話をよこした川島がこんなことを相談してきた。
「避暑地に行って夏の合宿をやらないか?」
着信があった時点で遥香は不審に思っていた。保護者を介さず、どうして生徒の携帯電話に直接かけてきたのか。それに、夏の合宿とは一体何なのか。
得体の知れない不安が胸の内側で渦を巻いていた。
「何の合宿ですか?」
「そんなの決まってるじゃないか。来年の高校受験に向けて、今のうちに苦手な教科を克服しておくのさ」
「つまり、勉強するための合宿ですよね?」
「そうだ」
「他の参加者は?」
遥香が確認すると、少しの間があってから川島は答えた。
「これから連絡するつもりだ」
あからさまに歯切れが悪かった。