剛と柔-1
「あ、おはようございます、片桐先輩。」
「…。」
「あ、あの?」
片桐鋼牙(かたぎり こうが)先輩はいつものように冷徹な瞳を私に向けた。
名は体を表す、と言うけれど、彼はまさにそうかもしれない。
鋼のように引き締まった体は180センチを軽く超え、野獣の牙を思わせる眼光をまともに見つめ返せる者は居ないだろう。サラリと流れる黒髪さえ黒豹の毛並みの様に戦慄を漂わせている。
「おまえ…」
「は、はい。」
「さっきまでオレの後ろに居なかったか。」
う…。
卓球部の朝練に遅れそうになった私は奥の手を使った、けど…。
見られてないと思うんだけどなあ。軽く数百メートルは離れてたはずだし。
「あ、あ…」
返答に窮している私から視線を外し、彼は体育館へと歩き始めた。
「おっはよ!リスちゃん。」
「あ、丸海先輩、おはようございます。」
丸海柔靱(まるみ ゆうじん)先輩は、これまたいつものように軽ーく声をかけてくれた。
僅かに低いとはいえ片桐先輩に引けをとらない長身は、まるで女性の様にしなやかだ。ふんわりエアリーなライトブラウンの髪もよく似合っている。一見だらしなく前を開いているように見える制服の着こなしも、実はなかなかセンス良くまとまっていて、片桐先輩のそれのような荒々しさはない。
「おい鋼牙、もうちょっと優しく出来ないのか?可愛い後輩だぞ。」
二人は同じ卓球部というだけでなく、幼いころからの親友らしい。
正反対の性格の二人が親友なんて、とても信じられないんだけど。
剛の片桐、柔の丸海。彼らはよくそのように並び称される。
「必要ない。」
一瞬立ち止まっていた片桐先輩は、振り向きもせずにそう言って再び歩き始めた。
「うう…。」
「リスちゃん、気にしない気にしない。いつものことじゃない。」
「そう、なんですけどね。」
「ニガテ?」
「はい、ありていに申せば。はは…。」
リス、というのは私の本名ではない。愛山絵栗鼠(あいやま えりす)、っていうんだけどね。小っちゃくてチョコマカ動くから、っていうんで、みんなからはリスって呼ばれてるの。
「そっかぁ。僕の可愛いリスちゃんをイジメルっていうんなら、アイツとはいつか決着を付けるときが来るかもね。」
「そんな大げさな。私が一方的に怖がってるだけですよ。」
決着って。そんなわけないじゃない、親友同士なのに。
「行くよー!リスちゃん、遅れるとまたアイツが…」
いつの間にか丸海先輩は随分先を歩いていた。
「あ、あうっ!」
私は慌てて駆け出した。奥の手は3分以上間を開けないと使えない。