僕を好きにして下さい-1
あーあ、つまんないなあ。
ついそんな愚痴を言いたくなるような毎日だった。
誰もが知る有名お嬢様学校を幼稚舎から大学まで一直線に卒業した私は、親のコネもあってかなりイイ感じの大手企業に入社した。自分で言うのもなんだが、生まれつきの美貌とキュートなスタイルに恵まれ、言い寄る男は後を絶たなかった。実は仕事も結構できたので、上司部下後輩からの評判も悪くない。
が。
自分ではまだまだだと思う年齢なのに、最近めっきりお声がかからなくなってしまった。若い時にもっと遊んでおけばよかったかなあ。
でも、若いころの私はどうやら高嶺の花と思われていたようで、食事やデートには誘われるのに、それ以上を求めてくる男は意外なほどに少なかった。なので、実はたいして経験があるわけではない。
もっと強く迫って欲しかった、もっと強引に自分のものにして欲しかった、んだけどなあ。
そんな状態のまま声もかからなくなってしまったなんて、悲しいを通り越してせつない。体はこんなにも疼いているというのに。
買う?嫌だ。プライドとかなんだとかじゃなく、お金でセックスしたくないの。そんなことしたってたぶん濡れない。不便だなあ、私。
とかなんとか。とにかく、ため息と愚痴の月日が流れていった。このままどんどん年をとって死んでいくのかなあ、私。
「おはようございます!」
ある日、無為に繰り返される時の流れに雷光が閃いた。今年の春入社したばかりのアオアマ君が研修を終え、配属されてきたのだ。
「カトウ主任、このたびこの部署へ配属されました、アオヤマ・ユウイチです。よろしくお願いします!」
うーん、なんてフレッシュなの!
アウトドアスポーツをかなりやり込んだと思われる日に焼けた顔は、意外なほどソフトで優しい瞳をしている。爽やかに刈り込まれた柔らかそうな髪、パリっとキメた若手感溢れるグレーのスーツの上からでも分かる鍛え上げられた胸板、キュっと引き締まったお尻、スラリと長い足。少し背伸びしたようなライトブラウンの大人っぽい革靴も、彼にはよく似合っている。
要するに。
いただきまーす、なのである。
でも。
まあ無理だろうな、今の私じゃ。彼と同年代の頃なら、頑張れば何とか出来たかもしれないけど。
私のせつなさはMAXを超える寸前まで行っていた。だって、目の前に出された大好物を食べることが出来ないのだ。だったら現れないでくれればよかったのに。
だが、転機はイキナリ訪れた。
「ちょっと来て、アオヤマ君。」
それは彼が私の部下になって半年ほど経ったある日の事だった。
「これ。ここのところ。」
期待を大幅に上回る仕事ぶりのアオヤマ君には、既に一人前の仕事を任せつつあった。しかし、ある大口案件の資料を私が指でトントンすると、彼は眼を見開き、見る見る青ざめていった。いつも堂々として自信に溢れ、情熱に満ちた仕事ぶりで周囲の信頼も既に勝ち取っている彼には有り得ないような狼狽ぶりだ。
「分かる?見積りのケタが一つ小さいでしょ?安すぎるの。しかも、発注数が一桁多い。ダブルよ。このまま進めちゃったら大損害になるとこだったわね。アブナイアブナイ。私の所で気が付いてよかったわ。今度からは気を付けようね。」
アオヤマ君は謝りも立ち去りもしないで突っ立っている。
「ん?どうしたの?次から気を付ければいいわよ。さあ、済んだ事は気にしないでがんばろ!」
まだ突っ立っている。
おかしい。何か変だ。
「…アオヤマ君、とりあえず座って。」
私は隣の席から椅子を引っ張ってきて座らせた。
「どうしたの?」
周りに聞こえないように囁いた。
すがるような目で私の方に顔を向けた彼は、掠れた声で呟いた。
「…ちゃったんですよ。」
「え?何?」
唇が震えてうまくしゃべれないようだ。
「出し…ちゃいました、その見積りと発注。」
え…。
「でもこれ、私のサインが無いと出せな…あっ!」
突然叫んだ私の方を、いったい何事かと部下たちが一斉に見た。
「あ、あ、あー。ゴキブリかと思ったけど、違ったー。よかった!」
脅かさないで下さいよー、とか言いながら、みんな自分の仕事に戻っていった。
アオヤマ君に視線を戻した。彼は小さく頷いた。
資料の日付を見て私の右頬がひきつった。その日、私は出張で居なかった。そういう場合の代理は、王位継承権みたいにあらかじめ順位を決めてある。本来なら私が最も信頼しているヒロタさんのはずだったのだが、彼女は親戚の不幸で急遽忌引きをとっていた。というわけで…。ヤグチ、ああヤグチ、キサマ…。ちゃんと確認しないでサインしやがったな、アノヤロー!いや、順位とはいえ彼に任せた私の責任か。
泣きべそのアオヤマ君とポカンと口を開けた私。しばし見つめ合った。