僕を好きにして下さい-2
「クビ…ですか?」
正直、それ級のミスだ。サインをしちゃったヤグチはもちろん、管理者の私にも責任が及ぶだろう。いや、責任で済めばいいが、ヘタをすればこの事業所ごと吹っ飛ぶぐらいのポテンシャルを秘めている。
「まいったな…。」
思わず呟いてしまった。
その時、アオヤマ君の顔から表情が消えた。マズい、一番ダメなやつだ。
「何とかするっ!」
部屋がシン、と静まり返った。
「ご、ゴキブリごときっ!なんとかしてやるぞ、コノヤローッ。ははっはあっ!」
ひー、ゴキブリーっ!と騒然としてしまった。ヤブヘビだ。ゴキブリだけど。
「あ、間違えた。何かのゴミだわ。」
もー、しょうがないなあ、みたいな声がバラバラっと流れ、普段の空気に戻っていった。
「あの…?」
「私が何とかするから。契約と発注止めるから。」
私は仕事用のスマホを掴んだ。その手をアオヤマ君が掴んだ。
「何するの、今すぐならまだ…」
彼は私のタブレット端末を指さした。指先が震えている。
まさか…。
契約一覧を確認した。
納入契約…済み。
発注契約…済み。
いずれも日付は三日前。おいヤグチ、遅いだろ、なんで今頃回して来たんだ、キサマー!
先方はとっくに具体的な業務に取り掛かっているだろう。納入先は注文を取り始め、発注先は生産にかかっているはずだ。今更金額違いましたーなんて、通用するはずもない。
…。
私はスマホを落とした。
私の顔から表情が消えたのが自分でも分かった。
…。
いや、まてよ。あの手を使えば…。でもなあ、やりたくないなあ、あの手だけは。
「カトウ主任。僕を好きにして下さい。」
「はあ?」
「こんなとんでもないご迷惑をおかけしてしまったんです。そうでもしないと、僕は…。」
よし、やろう。あの手だ。
「大丈夫。私にはまだ奥の手がある。誰にも知られずに揉み消せる。でも…。」
「でも?」
私の中の良心と欲情がシーソーを始めた。
欲しい、彼が。でも、弱みに付け込むのは卑怯だ。いやいや、彼の方からの申し出ではないか。まてまて、だからと言ってムリヤリ言いなりにさせるなんて。でもね、でもね、私、本当はしたくないのよ、あんな方法は。それをしてあげるんだから、そのぐらいは…。
「本当に私の好きにされる覚悟、ある?」
アオヤマ君がゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた。
「な、何をされ…」
「好きにされるされない、どっちかだけ答えて。」
彼の眼が泳いでいる。うーん、可愛い。とか言ってる場合ではないが。
「僕を…カトウ主任の好きにして下さい。何をされても何をさせられても逆らいません。」
結論は出た。後は実行だ。
私はサラサラっと紙にメモをして渡した。
「今夜20時、この住所の所へ来て。それまでに段取りはつけておくわ。でももし来なかったら…。」
「行きます、必ず行きます、絶対行きます、親が死んでも行きます。」
「いや、最後のはやめなさい。その場合は延期してあげるから。」
私はちょっと笑ってしまった。
アオヤマ君の顔に安らぎと不安が広がったのを確認して、席に戻らせた。