♠泣かないで欲しい女♠-4
「辛いのはわかる。でも、このまま知らないフリを通すのか?」
すると松本は瞳に涙をいっぱい溜めて俯いた。
頭では、このまま見過ごせないとわかっていても、父親に対峙する勇気がどうしても出せないのだろう。
そんな彼女を見てると胸が張り裂けそうで、俺まで泣きたくなって来た。
松本は、何も悪い事してないのに。
フウ、と大きく息をついてから、俺はわざと嫌味ったらしい口調で、
「確かに、知らないふりしてれば、お前ん家は平和だと思うよ? だけど、そしたら辛い思いを一人で抱えて行かなきゃいけないんだぞ? 親父さん、おいしいとこどりだねー。家庭っていう帰る場所はガッチリキープしながら不倫で遊び放題、咎める奴は誰もいないんだから」
と言った。
「…………」
すると、松本の仕事用の黒いローファーの上に彼女の涙が溢れ落ちた。
ワザと追い詰めるような言い方をして、心は痛むけど、ここで松本が勇気を出さないともっともっと辛い思いをすることになる。
「俺だったら耐えらんねー。いくら表面上平和でも、自分だけが苦しんで一緒に暮らしていくなんて、絶対無理。親父さんの事悪く言うのは申し訳ねえけど、不倫なんて汚ねえ事、大っ嫌いなんだよ!!」
頭に血が上っていた俺は、怒りに任せて松本の手首をギュッと掴んだ。
普段の俺なら到底考えられない行動。
でも今の俺は、松本に触れてドキドキなんて浮ついた感情は一切なかった。
彼女の手首は本当に細くて、それが何だか辛かった俺は、キュッと力を込めると、そのままエントランスへと向かって行った。
◇
「アイスコーヒー2つ」
無愛想にオーダーを告げる俺に、ウェイターは若干戸惑いまじりの営業スマイルで、かしこまりましたと呟くと、そそくさと席を離れて行った。
そんな彼の後ろ姿を眺めて、フウ、と息を吐く。
……不審に思うのも無理はないか。
洗濯ジワの残る白い麻のシャツは貧乏くさい、ハーフパンツから出た脚はスネ毛が見苦しい、オマケに今にも穴が空きそうなボロいスニーカーだ。
それでも俺は、私服だからまだマシな方なのだ。
チラッと松本の方を仰ぎ見る。
大きめの襟が特徴的な、グレーと白のストライプシャツに、黒いパンツ。
スウィングの制服姿のまま、松本を半ば強引にここまで連れて来た事に、初めて申し訳なさがこみ上げてくるのだった。