ジゴ系-2
電話が鳴った。
母さんの携帯だ。
母さんのバッグの中からそっと取り出して、本体を開きメールの着信を確認する。
見なくても誰からかは分かる気がした。
送り主はニコ。
「さっきはありがとう」
題名は差し当たりない。
題名は。
JPEG画像ファイルが添付されている。
ガラケーでも開けるように小さくしてあるみたいだった。
クリックして短い解凍作業をした後、映し出される。
だけどわずか3インチもないガラケーの液晶では、何が映っているのかよく分からなかった。
いや、本当は少しして分かった。
分かりたくなかったんだ。
自撮りらしく、斜め上から目一杯腕を伸ばして撮影しているみたいだ。
画像に映っていたのは母さんだった。
カラオケボックスみたいな少し薄暗くて紅い照明に照らされて、少し俯いてはにかんだような顔をしている。
そしてそのすぐ脇には見た事のない若い二十歳そこそこくらいの茶髪の男が笑っている。
男が撮影しているのか長くて日焼けした腕が手前にちょっと映りこんでる。
近すぎて見ずらいけれど、男の腕は母さんの肩に回されてるように見える。
それどころか、心なしか男の側にもたれかかってるようにも。
いや、それもおかしいけれど問題は二人の距離がやけに近い事じゃない。
母さんは少し俯いて、はにかんだような顔をしてたんだ。
今まで一度も見た事のない表情。
その表情には見覚えがあった。
僕が中学ん時、学校帰りの事だ。
小学校から一緒だったクラスの女子が知らない男子と歩いてたんだ。
その子は小さな頃からずっと見てきた。
小学二年生の時に廊下でこけて前歯を折った事も、四年生の時の社会見学でバスに乗った時に車酔いでゲロ吐いた事もよく知っている。
それでもけっこう愛嬌があって、気兼ねなく話せて、子猿みたいで、男友達みたいで。
そう思ってたその女子が今まで見せた事のない少女チックに赤らんだ顔で必死に話しているのを見た時、ひどい違和感を感じたんだ。
今思えばあれが初めて見たあの子の女の顔だったって分かる。
それで、僕は初めて失恋したって分かったんだけどさ。
もちろんあの女子と母さんは全然似てない。
あの子は今思ってもキーキー五月蠅い子猿みたいだったし。
けれど、携帯の荒い画像の中の母さんはあの時の女子と表情の印象がやけに重なるんだ。
ずっと昔から、それこそ生まれた時から知っているはずの母さんの表情に違和感を覚えるなんて、初めての事だった。
それもショックだったけれど、一番の問題は母さんもその男も大きな一枚のシーツに包まれているように見える事だ。
母さんの両手は多分前で折り曲げてシーツの端を掴んでいるのか肩より下は布で隠れているけれど…。
一枚のシーツに二人でくるまって写真撮影なんて、まるで若いバカップルのやる事じゃないか。
こーいうのをジゴ系っていうって知ってる?
セックスし終えた後の記念撮影かなんかだって理由を付けて、撮るんだって。
セックス後だから、事後。
つまりジゴね。
女の子は大抵写真に抵抗が強いから、そういうジゴ系で何度か撮って抵抗が無くなってきたらハメ撮りとかするんだって。
そういう自慢たらしい男のテクみたいなのが書かれてるのをネットで見た事がある。
で、別れたりしたら男にジゴ系だけでなくハメ撮りまでリベンジポルノされるパターンだ。
ダメだよ、こんなの残しておいたりするから流出されるんだって。
そんな風に流出したどこかのカップルの画像なんて、ネット上にも、そして僕のスマホにもいっぱい落としてあった。
だから僕にとってはこの画像もぱっと見は見慣れたバカップルの画像だった。
だけど、だから僕は余計に信じられなかった。
そんな画像に母さんが映っている事を。
くるまっているシーツからはみだした二人の肩はそのまま露わになっている事も。
もしかしたら二人ともシーツの下に何も着ていないんじゃないかって。
ダメだよ、服着なきゃ風邪引くよ。
って、そんな事言ってる場合じゃない。
もうシャレになってないから、これは。
母さんに男がいるなんて考えた事も無かった。
芸能人が不倫したとかそんなニュースは見たことあるけれど、そんなのと全然違う。
一般のどこにでもいる主婦の母さんが浮気するなんて、あり得ないって。
僕は何度もそう考え続ける。
考えた回数だけこの現実が夢だったんじゃないかって、夢になるんじゃないかって思えたから。
何度考えても手の中のガラケーの小さな液晶には知らない男と母のジゴ系画像がクッキリ残ってる。
んだよ、これ‥手が痙攣し始めて、両足も震えてくる。
いつか女子のあの時の顔を見た日みたいに吐き気がする。
胸が重ったるくて、黒いインクが広がってくみたいだ。
運転中に人を轢いた瞬間のドライバーってこんな気持ちなんだろか。
もうおそらく死んでしまった事は分かっているんだけれど、恐ろしくて見に行くことも出来ずに運転席で動けなくなる感じ。
体験したことないから分からないけれど。
ひどい耳鳴りが頭の中で響いてくる。
もう一度画面に映る男を見てみる。
見覚えは…やっぱり無い。
コイツがニコ、か?
二十歳くらいで髪を少し茶色に染めた普通の大学生くらいに見える。
チャラいってほどじゃなくも見える。
恐る恐る男の隣に寄り添う女に目を向けた。
じっとよく見てみたら全然違う知らない女だった、なんて。
何だ、他人の空似じゃないかなんて。
そんな風に笑って話せるありがちな話じゃないかって。
もちろんそんな都合のいい話なんて無かった。
よく見れば見るほど、母さんだって確信する。
悲しいほど間違いないって分かる。
僕が生まれた時から毎日見てきた、一番よく知っている人の顔。
母さん…。
耳鳴りが頭の中を回っている。
震える思いで母さんの携帯を見ているというのに、そのすぐ近くで父さんはテレビを見ている。
テレビでは最近人気らしいアイドルがここ最近あった美容院であった出来事の話をしている。
面白くもおかしくもない。
突然父さんが振り返って僕の手から携帯を奪い取ってくるような変な妄想が起きて、僕はぎゅっとガラケーを握りしめた。
リビングには大げさな話しぶりをするアイドルの声が響く中、遠くから風呂に入っている母さんが流しているシャワーの音が聞こえてくる。
あんまりにも普段通りの夕食後の光景だった。
もし、さっきと逆で僕がふと思いついてこの携帯の画像を父さんに見せたらどうなるんだろう。
あるいは、風呂から上がってきた母さんにこの画像を見せたら。
そうしたらこんな平凡で普段通りの光景なんて、多分跡形も無く吹っ飛んでしまうんじゃ…ないかって、思った。
もちろんそんな勇気は僕にはないけれど。
その内に風呂場から聞こえていたシャワーの音が止まった。
もうすぐ出てくるんだろう。
少し迷った後で、僕は携帯の中のメールと画像を全て僕のパソコンのメールボックスに送信した。
その後で携帯の送信履歴を消すことにした。
詳しく調べれば送信した履歴は分かってしまうと思うけれど、機械に疎い母さんは気づかないだろう。
古いガラケーだから多くのデータ処理に手間取って転送に1分近くもかかったから、風呂上りに間に合わないかと思ってかなり焦った。
(送信しました)
ピッという音と共に完了したのを確認し、送信履歴を消して携帯を母さんのバッグに戻した。
僕の心はもうリビングにはなかったけれど、踏ん切りがつかなくて、そのまま少しの間テレビを見ていた。
そして母さんがリビングに来るまでに部屋に戻った。
完