第七章 傷跡-4
ヒロカちゃんは真っ直ぐに私を見つめている。
「う、うそ、ヒロカ…ちゃん…なの?」
「なるほどね。さっきの話と繋がったな。」
「どうして…。」
唇を噛みしめ、つらそうな目でしばらく私をみつめてからヒロカちゃんが話し始めた。
「鈍いといえばね、君はもう一つ気付いていないことがある。」
「何?」
「私はヒロカ。そしてここに居るのは?」
彼女が指さした先には。
「ヒロキ…え?まさか…。」
「そう。アニキだよ。」
そういえば、小さな頃から仲良しだったのに、お兄さんには一度も会ったことがなかった。
「私ね、君と友達以上の、いわゆるそういう…、みたいな関係にね、なりたかったの。でも、何もしなければ、このまま卒業して、それぞれ就職して…だんだん離れて行ってしまう。だからなんとかしたくて、ある時アニキに協力してもらったのよ。部屋を貸してって。」
「あ、それ覚えてる。」
「いろいろエッチなもの、有ったでしょ?それで雰囲気次第で君と…、ってね。でも、私が寄って行ってもきゃーきゃー騒ぐばっかりで。やめてよー、あははー!って。」
「そうだったんだ。でも、私…。」
「気付いたとしても、そういう関係は望まなかった、でしょ?」
「正直に言うね。ヒロカちゃんとはずっとずっと一番仲のいい友達で居たいの、それ以外ではなく。」
「分かってる…。」
ヒロカちゃんは俯いていた顔を急に上げた。
「だからね、買うことにしたんだ、君を。」
「ば、バカ言ってんじゃねえぞ、おい。カラダの関係になりたいけど応じてくれそうにないから買うってか、親友を。」
「そうだよ。」
「ヒロカちゃん…。」
「あの、参考までにお伺いしたいのですけれど、わたくしたちっておいくらぐらいで取引されるのかしら。」
「ミヤビさんの場合で…」
ヒロカちゃんは超高級スポーツカーが何台買えるか、という表現で答えた。馬、牛、など。
「ひえー!そんなに高いのか、オレたちは。」
「いや、君の場合は…」
国産大衆車数台、らしい。
「なんでオレはそんなに安いんだよ。」
「あんまり需要が無いんだよ、君のタイプは。経費ばかり掛かってほぼ赤字だよ。」
「なんだとー偉そうに。」
「サユリさん、怒る方向性を間違ってますわよ。」
「だってさー。おいオマエ、ナマイキだぞ、年下のくせに!」
「なんだよー、処女のくせに!」
「オマエもだろが!」
「違うよ。」
「は?」
サユリさんは私の方を見た。私は首を振った。ヒロカちゃんからそんな話を聞いたことはない。
「今話した通り、私みたいなごく普通の女子に払える金額じゃないのよ、君を買うのには。」
「ごく普通…ではないと思いますけれど、確かに高額すぎますわよね。」
「その通り。でも、払える方法があったんだ。」
「どうやったんだ?」
ヒロカちゃんの口に注目が集まる。
「私を売ったの。」
私は言葉を失い、凍り付いた。
「…何てことするんだ、オマエ。」
「ありえないわ。」
「そう、ありえない。でも、他に君を自分のものにする手段が無かったんだよ。自分自身を商品として売るしか。通常はやらないんだけど、物々交換の特別ルールでね。」
私の方を真っ直ぐに見つめてきた。
「…ねえ、誰に私を売ったのか教えてあげようか?」
「やめて!もう…やめて。」
サユリさんとミヤビさんの視線がテツヤさんに向いた。
「ざーんねん、違うよ。」
「え、でも、他に居るかよ?」
「居るじゃないか。アニキだよ、ここにいるヒロキに抱かれたんだ。」
誰も声が出ない。
「…実の兄妹ではない、ってパターンか?」
ヒロカちゃんは唇の端を歪めた。
「だったらまだ救いがあるんだけどね。実の兄妹だよ、間違いなく。」
「そんな…。」
「アニキね、子供の頃、よく私にイタズラしてたんだよ。子供のイタズラじゃない方ね。ある日、親に見つかって死ぬほどシバかれてた。それ以来、してこなくなったし、私も防御策をとっていたから全くなくなった。でも、愛し続けてたんだよ、私だけを。実の兄が実の妹しか愛せないんだ。他のオンナをそういう対象として見れないんだ。悲劇だろ。」
「オンナしか愛せない妹と、妹しか愛せない兄…ということですわね。」
「その通り。でね、君を欲しい私をアニキは欲しい。利害が一致した。商談成立。」
「なるほど!合理的だ。」
「サユリさん…。」
「え、なんで?間違ってないじゃん。」
「というわけで、君が誘拐されたあの日、あの雑貨店の奥で処女がどうとか話していた時、私はもう処女じゃなかったの。今となってはどうでもいい話だけどね。」
重い空気を何とかしようと思ったのか、ミヤビさんが話題を変えた。
「あの、テツヤさんはどうしてこの施設に参加することになったんですの?プールでの件をお伺いした限りでは進んでこういう事に参加される方には思えないのですけれども。」
「そうだね、ついでだから教えてあげるよ。本人、しゃべる元気なさそうだから、私から話すね。」
テツヤさんは微かに笑みを見せ、右手を少し上げた。
「テツヤの顔、見おぼえない?一時期、新聞テレビにネットなんかでそこそこ話題になってたんだけど。」
「えーこんなの知らないぜ。」
「わたくしも存じ上げませんわ。」
「ああー!」
私は思わず声を上げてしまった。どうして今まで気づかなかったんだろう。
「な、何ですの?」
「びっくりさせんなよ。」
「さすが元水泳部だね。君は思い出したか。」
ヒロカちゃんは世界的スポーツ大会で強化選手に指名され、代表入り確実とされながらいつの間にか姿を消した水泳選手の名を告げた。
「でもあんた、結局出場しなかったよな、たしか。」
テツヤさんが微かに頷いた。