前章(四)〜惜別T〜-8
屋敷から街迄の凡そ、半里の道程を、自動車は風を切って走り抜けて行く。
「うわぁ……。景色が、川の様に流れて行きます!」
葛(つづら)折りの下り径(みち)。目の前の景色は溶け出し、物凄い速さで後方へと流れ行く中、それとは対照的に、空の動きは止まって見えている。
大風が来た時の様に風が頬を叩き、爆音が身体中に響き渡る。夕子は初めての体験に、稚児の如く興奮した声を挙げていた。
一行は、十分足らずと云う、僅かな時間で街の目抜き通りに差し掛かった。
二百米(メートル)程の真っ直ぐな石畳の径が東西へと伸び、東の突き当たりには街に一つだけの宮様が祀られていた。
宮様には、十米は優に超える大楠の御神木が、目印の様に聳え立つ。此処は疫病退治の神様で、遥か昔、此の辺りで飢饉と共に疫病が蔓延り、数多くの犠牲者が出た事を憂い、伝衛門の祖先が建立した事が始まりとされている。
当初は庄屋の邸近く、村の真ん中辺りに存在したのだが、産炭の街を計画するに辺り、御社と神木を目抜き通りの先へと移築したのだ。
囂然(ごうぜん)足る音を辺りに撒き散らし、濛々(もうもう)と白煙と砂塵を後方に撒き上げ、道行く人々を畏怖によって蹴散らし乍ら、自動車は宮様からそう遠く無い、然る場所に停車した。
「本当に、此方で宜しいのですか?」
香山は、そこに建つ巨大な建物を見つめ、不安気な声を挙げた。
「ええ。先ずは、此処に来るのが手っ取り早いでしょうから。」
ところが、伝一郎は、香山とは逆に目を赫(かがや)かせ、その建物を見上げている──。そこには、鉄筋コンクリートと云う最先端の工法で築かれた、四階建てのビルディングが在った。
ビルディングの玄関口には“共同新聞社分所”為る黒い彫り文字が記された、長さ一間は有る巨大な銘木(めいぼく)が、掲げられていた。
此の建屋は、大手新聞社、数社の共同出資によって作られた地方支社で有り、寄り合い所帯として総勢十数名から為る記者が、全国紙の地方欄数頁分を埋める為に共同して取材対象を振り分け、担当範囲で有る隣接三県に股がって遍(あまね)く出歯って廻り、情報収集に努める為の本丸として機能していた。
そんな彼等が、最も注視している人物が田沢伝衛門で有り、新聞記者の如きインテリゲンチャの心を占有する「ブルジョアジーと云う富める者によって社会的弱者が生み出され、一人の富が万人の弱者等の犠牲によって築かれる此の世界は、人間は平等だと説いた福沢諭吉等の観点からすれば剰りに歪で、ブルジョアジーの排斥こそ、万人が幸福と成る世界を築く近道で、そう仕向ける事こそ、新聞が果たす使命で有る。」と、云う真に気違い染みた思想に染まっていた。
更には、「共産主義思想こそ、健全為る社会を構築する為の源泉で有る。」等を信条とする世界を夢見る彼等からすれば、伝衛門は諸悪の権化以外の何者でも無く、何としても社会的抹殺に至らしめたいとして、日夜、付け廻しているので有った。
共産主義思想と云う“夢遊病患者の妄言”を、金科玉条の如く奉る社会主義国家の“走狗”と成って、日本を貶めんとする輩の巣窟が此の建屋で有り、奴等の卑屈さ、執念深さを身を持って識(し)る香山からすれば、「彼の恨めしさに比べたら※6賤人や※7朝鮮人の因縁騒ぎの方が、余程、可愛い気が有る。」と、思える程、此の街の誰しもが忌み嫌う存在なので有る。
にも関わらず、伝一郎は、敢えて奴等の懐へ飛び込むと云う──。香山には、とても正気の沙汰とは思えず、余程の胆力の持ち主か、若しくは世間知らずかの何れかで、先程迄、対峙した香山は迷い無く、前者だと確信していた。