前章(四)〜惜別T〜-19
「やっと……終わった。」
凡そ、三十分程で店内の現状回復は完了と相成った。食器の破片は集めて新聞紙に裹(くる)み、塵を焼く窪地に捨て、土間は水を打って掃き清めた。
「女給さん。本当に申し訳なかった。此れで、新しい食器を買い揃えてくれないか。」
「こ、こんなに。」
伝一郎が、弁済として壱圓札二十枚を手渡すと、女給は驚きの声を挙げた。
「勘定を払わずに、逃げた奴等の分も含めてだから。」
意図を説明すると、女給は快く金を受け取った。
偶(たま)さかとは云え、一日の売上げを超える額の金が転がり込んで来たと有ってか、驚き乍らも、その口許に白い歯が溢れている。
「序(つい)でと云っては何だが、牛乳にパン、それとアイスクリンが有ったら、頂けないかな?」
「牛乳とパン、アイスクリンですね。直ぐに御持ちします!」
今の女給には、伝一郎が夷(えびす)
三郎にでも見えているのかも知れない。注文を聞いた後の快活な声と満面の笑みが、それを物語っていた。
「じゃあ、改めて仕切り直し致しましょう!」
夕子は、そう告げた後、伝一郎の手を取って席へと導く。その心嬉し気な表情を見た伝一郎は心揺さぶられ、改めて惹かれる自分に気付いた。
──ああ、立場を超えた気易い心根を持つ此の女に、自分は魅力を感じているんだ。
当初は、年若く生意気な女給だと“玩具”の様にしか考えてなかった。
ところが、生まれ持つ聡明、且つ高潔な部分と、情欲と共に婬猥なる自分の如何わしさを恥乍ら、尚も正直に生き様とする所に惹かれたのか。
或いは、大人と子供の間に在る少女が時折、垣間見せる母性に、何時しか菊代の面影を重ね、心境を変化させてたのか。
「だったら、席に着く所から、やり直すとしよう。」
伝一郎は夕子の後ろに立ち、優しく椅子を引いて席に着く手助けをする。夕子は照れ乍らも促されるまゝ、その椅子に腰掛けた。
「御待たせ致しました!」
注文した物が届くと、途端に、夕子の口から感嘆の声が漏れた。空色の硝子食器は、幾条もの彫溝に由って鮮やかな模様を織り成し、射し込む外光に幾つもの表情を見せる事で、何とも涼しい気分にしてくれる。
「こう云う器を、昔は“ギヤマン”と、呼んでいたそうだよ。」
「昔って、どの位なんです?」
「ほんの五十年。年号が明治に変わる直前だよ。凡そ、四百年前に外国から献上された物を、そう呼んだらしい。」
「へえ〜。そんな昔から。」
夕子が、器に顔を近付けた。かつて、幕府が鎖国政策を敷く以前、南蛮と称する国と貿易を交わしていた折り、貢ぎ物として献上されたと云う歴史的事実に、器を通じて思いを馳せる。
「それは江戸切り子と云って、取って置きの器なんです。」
女給は、器を誉められた事が余程、嬉しかったのだろう。突如、二人の会話に割って入った。
「噂には聞いていたが、此れがそうなんですか?」
伝一郎が、透かさず合いの手を入れると、女給は得意気に器の経緯を語り出す。