前章(四)〜惜別T〜-18
「き、貴様!こんな……た、只で済むと思ってるのか」
傍若無人な目に遇い乍らも、尚、男達の一人は必死に抗うのは、記者としての矜持か。しかし、その声は疳高く、丸切り悲鳴の様に虚しく響く。対して伝一郎は、低く凄然(せいぜん)とした声で男達に云い放った。
「今後、此の街で見掛けから五体満足じゃ済まさない……。畸形(かたわ)者にしてやるからな。」
凄まじい形相から鬼気を発散させ、尚も躪(にじ)り寄ろうとする伝一郎を面前に、男達は漸く、自分達が生命の危機に晒されている事を察知した。
その時で有る──。
「もう、辞めて!」
突如、夕子が、あらん限りの力で伝一郎を抑え付け、強い剣幕で騒動を収めに掛かったのだ。
「夕子……?」
思い掛けない邪魔に、伝一郎の戦闘意欲は丸切り殺ぎ落とされてしまう。その瞬間、男達は我先にと店から飛び出して行った。
「もう、辞めて下さい!今の伝一郎様の顔、怖くて堪りません!」
口唇は、わなわなと震え、その瞳は泪で濡れていた。心痛を極める剰り、想い人を諌めねばとする夕子の決死の行動。伝一郎は、己の不覚を恥じた。
「わ、悪かった……。そんな積りじゃ無かったんだが、つい。」
「つい、じゃ有りませんよ!折角、来たミルク・ホールで、暴力沙汰を起こすなんて。」
「確かに、手を出したのは不味かった。自省するよ。」
「当たり前です!御世継ぎとしての自覚が足りなさ過ぎるんです。」
──女(おなご)と云うのは、一度、機嫌を損ねてしまうと、幾ら宥め様とも徒爾(とじ)に終わってしまう事が常だ。此処は一向(ひたすら)、憤懣(ふんまん)が収まるのを待つ以外、妙手は無い様で有る。
(しかし、今は、そんな悠長な事を云ってられ無い。)
「そう、目を吊り上げて膨れなさんな。折角の別嬪さんが台無しだぞ。」
「なっ!?」
伝一郎はそう云い放つと、夕子の膨れた頬を軽く指で押した。
予想だにしない突飛な行動に、夕子は声を奪われただけで無く、頬を紅潮させて、まるで、陸に上がった魚の如く口をぱくぱく動かし、動揺を見せた。
「未だ、散策は始まったばかり。先ずは仕切り直して、街の様子を堪能しようじゃないか。な?」
伝一郎は両手を合わせて掲げ、頭を垂れる格好で万謝を表した。すると、不思議な事に夕子の憤懣は、跡形も無く失せてしまった。
一応、心中の蟠りを吐き出した事で気分は清新に成り、何より、下女で有る自分に対して、垣根の無い素直な態度が微笑ましく思えていた。
「判りました。もう辞めましょう。」
「そうか。やっと機嫌を……。」
「唯、その前に、此れ等を何とか致しませんと。」
夕子はそう云うと、旁らを指差す。騒動に由る損壊具合。椅子や卓台は横倒しと為り、割れた食器の破片が土間に散乱していた。
「確かに、先ずは此方を片付けないと、いけないな。」
伝一郎は、掃除道具を借りようと厨房のに目を向けた。が、女給の姿が無い。辺りを能(よ)く々探して見ると、付け台の下にしゃがみ込み、頭を抱える格好のまゝ、厄が過ぎ去るのを待っていた。
「女給さん。」
「えっ?は、はい!」
呼び止められた女給は、白中夢から覚めた様に、我に返った。
二人して謝意を述べた後、女給と夕子は掃除に取り掛かろうとする。合わせて伝一郎も彼女達の作業が捗る様にと、水汲みや椅子、卓台を隅に片す等、力仕事に従事した。