前章(四)〜惜別T〜-17
(あいつは……。)
伝一郎は、四人の男の中に、見覚えの有る顔が居る事に気付いた。
「女給さん。此方の卓台は空いてるのかね?」
「えっ?ええ、どうぞ。」
女給は、不可解な心持ちになった。自分より明らかに年下で青年然とした男の口振りが、有無を云わせぬ威厳の様な物を感じたからだ。
伝一郎は女給に「有り難う。」と、告げると、夕子を携えて卓台に近付いた。
「さあ、此処に御座りなさい。」
そう云って、和やかな調子で椅子を引く伝一郎に、夕子は困惑の表情を投げ掛ける。先程から、隣席の男達が異様な雰囲気を放っているにも拘わらず、此の青年は全く意に介した様子も無いのは、どう言う神経かと思えたからだ。
「どうしたんだい?椅子を引いて座るのを手伝ってやるのも、男の役目なんだが。」
「は、はい。いえ、伝一……!」
夕子は躊躇いつゝも、此の情況を早く伝えねばと思ったのだが、一早く伝一郎に、その口は塞がれてしまった。
「君が、何を云いたいのかは承知している。だが、心配無用だ。全て、僕に任せておいてくれ。」
そう耳許で囁いた伝一郎は、不安気に見詰める夕子に笑顔で応えると、踵を返し、隣席へと向かって行った。
「なんだ?貴様は。」
男達の一人が、近寄って来た伝一郎に対して凄みを効かせた。が、如何にもインテリゲンチャらしい神経質で痩身な体躯では、此の“力ずく”が支配的な産炭の街では、子供でも恐怖に怯えたりしないだろう。
伝一郎は口の端を上げ、一人の男にこう告げた。
「御前、彼の時、屋敷の前に居たな。」
男達は、言葉の意味が判らない。が、眼窩の奥を輝かせて睨め付ける青年の威圧を受け、背筋は凍り付き、既に、身動き出来ない状況に陥っていた。
勿論、目の前の青年が、彼の時の小学生だとは夢想だにしていない。
「き、貴様……。俺達が、」
「判っている。新聞記者だよな。」
男達は今や、年若い青年に圧倒されてしまい、脂汗を流している。
「こんな所に、御前達が屯する店屋が有るとはな。帰ったら父さまにそう伝えておくよ。」
此処まで聞いて、男は何かに気付いた様だ。
「ま、まさか、お前、田沢……?」
伝一郎は、再び口の端を上げて笑みを見せると、今度は男の鼻先まで顔を近付け、低く静かに云った。
「やっと思い出した様だな。彼の日、御前等に受けた恥辱は、決して忘れやしない。何れ、意趣晴らしをやる。覚悟しておけ。」
「だ、誰が……そんな、嚇しに、」
男達は必死に対抗しようとした。が、生の威嚇とは無縁の世界に生きて来た彼等と、此の青年は違った──。突如、男の横面に、強烈な平手が炸裂した。
「云っただろ!必ずやり返すって。」
その細い身体の何処に、此れ程の力が備わっているのか。掌低は男の鼻を捉え、四本の指が頬から耳を打ち抜くと、鈍い打撃音と共に、男の体は奥の壁際まで飛ばされて、鼻血を出していた。