前章(四)〜惜別T〜-13
「鉄火場なら、両替出来るんですか?」
今一、不可解とする伝一郎が訊くと、手代は自信が有るのか、大きく頷いた。
「その通りで。金貨の価値を正しく評価出来るのは、鉄火場を取り仕切る侠客者しか居ません。
しかも、彼等は賭場で客相手に金貸しもやってますから、間違いなく両替してくれる筈です。」
手代は、更に何かを云おうとしたが、ぐっと喉奥に留めた。此れ以上は云わずもがなだと、思ったのだろう。
「取り敢えず、御茶でも啜って待ってて下さいまし。」
手代は、そう云うや、丁稚に支度を頼んだ。
盛夏の昼下り。熱い御茶と漬物云う、一見、不似合いな物を頂き乍ら、伝一郎と夕子は丁稚の帰りを待った。
一口飲む度、喉から胃の腑へと熱さが広がって行くと共に、額に、じわりと汗が滲んで来る。が、軈(やが)て汗は止まり、不思議と暑さを感じ無い所か、寧ろ、過ごし易く思えて来たではないか。
「不思議でしょう。暑い時に熱い物を飲むと、逆に汗が引いて行くなんて。」
「まったく。同感です。」
「それが、商売人の知恵なんです。」
暑いからと冷ました白湯ばかり飲んでいると、何れ、身体が怠く為って商売に身が入らなく為る。それに水も、只と云う訳では無い。体調に気遣い乍ら、尚且つ、無駄な出費を始末する、真に商売人らしい知恵だと伝一郎は感心した。
「た、只今……も、戻りました。」
丁度、御茶を飲み終えた頃、使いに出ていた丁稚が戻って来た。余程、急いで帰って来たのか、汗だくで息も絶え々で有る。
「ご苦労さん。どうだった?」
手代が透かさず訊ねると、丁稚は懐から大事そうに紙包みを取り出し、手代に手渡した。中を確かめると、日本書記や古事記で有名な武内宿禰(たけのうちのすくね)の肖像が配われた壹圓札の束が、入っている。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……。全部で百肆拾(140)圓か。結構、好い値だな。」
手代は、札束を数え終えると、それを伝一郎の方に差し出した。
「此れが、弐拾圓金貨の持つ本当の価値で御座いますよ。」
裏社会を取り仕切る侠客の徒だからこそ、御法度で有る金本来の価値で、買い取る事が出来たので有る。
「彼等は、両替商もやるんですか?」
伝一郎の問い掛けに、手代は首を横に振った。
「それは、彼の金貨の持ち主が伝衛門様の御子息様だからこそ、彼等は、両替に応じてくれたんだと思います。」
侠客は、堅気と関わり合う事を極端に嫌う。堅気と侠客は、住む世界が違うと云う理由からだ。
侠客は、堅気に迷惑を掛けぬ様にと、毎朝、自分達の居宅前や往来を掃き、打ち水で清める様に努めている。更に、身形もきちんと整えるのが常で有った。
だが、賭場等を通じ、堅気自ら任侠の世界へ足を踏み入れた場合は、少々、事情が違って来る。賭場の借金で身代を潰した堅気の話は枚挙に暇が無い位、誰もが知る所で有る。
だから、侠客は、金目の物なら如何なる物でも売り捌く為、独自の繋がりを持っている。金や銀の貴金属は勿論、絵画や書等の芸術品、久谷や古伊万里等の焼き物から珊瑚や鼈甲(べっこう)、螺鈿(らでん)細工と云った工芸品等の、有りとあらゆる物を金に変える術を、心得ているのだ。
もう一つは、手代も指摘した伝衛門との繋がりだ。幾ら、侠客と云えども、数千人が暮らす産炭の街を築き上げた者に逆らえる立場に非ず、彼等は、店屋等が売上金の一部を納める代わりに自警団を結成して地廻りを行い、街の安全に努める事によって、居住とシノギを許されていた。
以上の点から、今回は特別に金貨を金相場に倣って買い取った訳で、平素なら何の益も無い上、御上に縦付く真似を、彼等がする儀は無い。