前章(四)〜惜別T〜-11
「此方の御婦人に見合う日傘を、見繕って貰いたいんですが。」
「日傘ですね。有り難う御座います!」
「ちょっと、で、伝一郎様!私、日傘なんて……!」
夕子は血相を変えて、何かを訴えようとするが、その途端、伝一郎に口唇を塞がれてしまった。
「夕子。人様の店内で、大きな声を挙げるのは失礼な事なんだよ。話なら後で聞くから、ちょっと待ってなさい。」
「そ、そんなあ……。」
悪者にされ、すっかり悄気(しょげ)返る夕子。
手代らしき男は、早速、丁稚の一人に申し付けて店の奥から十本程の日傘を、二人の前に陳列させた。
「如何です?此れなんか、御値打ち品だと思いますが。」
手代が手渡した一本の日傘は、淡い桜色に染めた綿布に藍色の縁取りと小さな挿絵を施した品で、轆轤(ろくろ)と中骨には楓の木が遇(あしら)われ、表面に腐蝕防止として柿渋が塗られており、艶々した茶褐色が何とも云えぬ上品さを醸している。
作りは番傘とよく似ているが、中骨が十二本と番傘の半分程しか無い上に、轆轤を細くして軽く作って有り、客層である御婦人方への工夫が、随所に見て取れる。
「此れで、幾らの品なんです?」
伝一郎がそう訊ねると、手代は「そうですねえ。」と、云って顎に手を添えたまゝ、暫時、思案顔で天井を見詰め、
「初めての御客さんですから、今後の御贔屓も考えて、端数は無しの※9参圓丁度で如何でしょう?」
満面の笑みを伝一郎に向け、そう答えた。
「参圓ですか……。」
伝一郎は素早く考える──。東京辺りで出回り始めた、全ての骨組みが鐡(くろがね)の蝙蝠(こうもり)と呼ばれる雨傘が拾圓程で、昔乍らの竹と和紙で出来た番傘が壱圓伍拾銭で売られているのを考慮すると、此の日傘の様に凝った作りの物であれば、東京なら伍圓は下らない。
「では、此れを。」
「ちょっと、伝一郎様!」
傍から夕子が制止しようとするが、伝一郎は聞く耳を持たず、ズボンのポケットから財布を取り出した。
「では、此れで。」
「こ、此れって!」
伝一郎が手渡した物を見て、手代は肝を潰した様な声を挙げた。
表面(おもて)の真ん中を旭日、その上下に菊紋と桐紋が配(あしら)われ、裏面には図形化された竜が刻まれた、金色に耀く弐拾圓硬貨だったので有る。
「い、今迄、奉公して十二年。き、金貨なんて、初めて御目に掛かったよ!」
手代は、興奮気味にそう云って金貨を摘まみ上げると、瞼の奥に刻み付けるが如く、裏に表にとして目を眇る。何時の間にやら丁稚達も傍に寄り、食い入る様に凝視していた。
「でもなぁ……。此れ、使え無いんですよ。」
金貨をまじまじと眺め乍ら、手代はそう云って嘆いた。が、伝一郎には言葉の意味が判らない。
「どうして、使え無いんです?」
「金銀兌換禁止法のおかげですよ。」
「きんぎんたいかんきんしほう?」
手代の云う所では、先の※10戦争による国内不況と、外国との貿易拡大が起因しているのだそうだ。
本格的な海外貿易を始めて幾らも無い我が国では、支払いの際、流通紙幣は信頼に足り得ず、主に金や銀を原材料とした貿易用貨幣が使われていた。
ところが、現存する国内金銀量では、金銀複本位制に制定した貨幣制度と貿易の両立が、困難と為ってしまった。