前章(四)〜惜別T〜-10
「──でも、最初は取り囲まれでもしたら、どうしようか?なんて変に構えてましたけど、どうやら取り越し苦労みたいで、少し安心しました。」
「おいおい、僕らは“囮”と云う密命を帯びているんだぞ。」
辺りを見る夕子は、そう云って安堵の笑みを見せたが、此処に来た本来の目的からすれば、果たして「記者達は、ちゃんと此方に気付いているのか?」と、不安が先走るのも確かだ。
「取り敢えず、道成りに歩いて散策してみるか。」
伝一郎は、そう云って夕子の上手(かみて)に立つと、左の肘を突き出す様に腕を出す。その様子に、夕子は不可解と云った表情で、伝一郎の顔を見た。
「何ですか?その格好は。」
「折角だから、西洋の恋人同士の様に、振舞おうと思ってね。」
「西洋の恋人同士?ですか。」
持ち掛けられた言葉に、夕子は内心、伝一郎の“西洋気触れ(かぶれ)”振りに、少し苦痛を感じてしまう──。女を丁重に扱ってくれるのは迚(とて)も有り難いのだが、所作の一つ々が大袈裟で、如何にも“恩着せがましく”見えて為らない。
元より“男尊女卑”を慣習とした中で生まれ育った夕子にとって、西洋男の習慣は、女に媚び諂(へつら)っている様に感じられて苦手に思えてしまい、何より、彼女自身が夢見る「好いた男を、甲斐々しく世話を焼きたい。」と、する彼女の理想と比べる迄も無く、西洋的な優しさは却って邪魔なので有る。
しかし、西洋の恋人達の振舞いには些か関心が有り、真似をする事は吝(やぶさ)かでは無いのも確かだ。
「どの様に致すのですか?」
「簡単だよ。僕の左腕に右手を絡めて掴むんだ。」
云われるまゝに腕を組むと、自動車の中以上に身体が密着する事に気付いた。何より、互いの温もりを感じられて、惚れた者同士なら嬉しい筈だが、
「こう暑い最中だと、此の格好は不向きの様ですね。」
「確かに……。夕涼みの時分なら好かったんだが。」
只でさえ汗が吹き出す様な夏の昼日中では、身体を密着させるなど、単に不快感を煽る物でしかなかった。
「それに、日射しが強過ぎて、肌が痛い位です。」
夕子は、空いた方の手を額に当て、廂(ひさし)の様に翳(かざ)すと眇(すがめ)た眼で、紺碧の空に有って産炭の煙霧も遮るに至ら無い、燃え盛る日輪を仰いだ。
「だったら先ず、日射しを避けれる物を物色するとしよう。」
「えっ?」
伝一郎が指差す先には、軒上に“雨具店”為る大きな看板を掲げ、軒先には申し訳程度に「日除け傘有ります。」と、記された細長い木札が掛けて有った。
「日傘を買って、それで日射しを遮り乍ら、散策するとしよう。」
二人は、灼け付く様な日射しを避ける様に軒下の影の中を渡り歩き、漸く雨具店の入口に辿り着くと、暖簾を潜った。
「あっ、いらっしゃいまし!」
店内には、年の頃なら十三〜十四歳と云った頃の丁稚(でっち)が土間に二人と、上の板間に、二十代半ばの手代(てだい)と思わしき者が一人、計三人で店を取り仕切っている様だった。
「今日は、何を御入り用で?」
手代らしき男が用向きの程を訊ねると、伝一郎は、夕子の方を顎で指し示し乍ら、こう伝えた。