11.赦し-2
「僕は、」英明は言いかけて黙り、無表情のまま再び口を開いた。「美穂、君と誠也が深い男女の関係であるとしても、僕は君を責めることはできない。主婦としての努めもちゃんとこなし、やりくりも堅実で娘の真琴への愛情も十分すぎる程だ。君は僕の理想の妻であり娘の良き母親だ。僕にとってどこに出しても恥ずかしくない最善のパートナーだ」
美穂はうつむいたまま膝の上に置いた拳を握りしめていた。全身が汗ばみ、思わず小さく身震いした。
「それなのに僕は君の身体を癒やすことができない。夜の営みに関しては全く不能な夫であることは認めている。だから君も誠也にそれを求めたんだね。誠也とはいつから?」
美穂はうつむいたまま震える小さな声で答えた。
「あ、あなたとの結婚する数か月前に働き始めたスーパーで……初めて会ったの」
「誠也はその時、確か大学生だったよな?」
英明は誠也に顔を向け直した。
罪状を突きつけられた容疑者のように唇を震わせながら誠也は言った。「は、はい。その時青果の卸しのバイトをしていて……」
「なるほど。で、お互いに惹かれ合っていったってわけだ。ずいぶん早くに知り合ってたんだね」
英明は湯飲みを手を取り、茶を一口飲んだ。
「真琴はもう寝たのかな?」
英明が階段の方をちらりと見て言った。
「大丈夫。あの子は勉強の後、めったに降りてこない……」
美穂が申し訳なさそうな顔で小さくかすれた声でそう言うと、英明はふっと表情を和らげて、美穂に顔を向け直し、小さく数回うなずいた。
「二人とも、もっとリラックスして聞いてくれないか? そんなに緊張されると話しづらいよ」
それでも美穂と誠也は身を固くしたままだった。
「僕には美穂に謝らなきゃいけないことと感謝しなきゃいけないことがあるんだ」
美穂は顔を上げた。
「僕も不倫してしまった」
誠也も思わず顔を上げた。
「去年の秋、職場の同僚に言い寄られて、しばらく関係を続けたんだ」
美穂は目を大きく見開き、口を半開きにして英明の顔を見た。
「彼女の方が僕に好意を持っていた」英明はテーブルの上で指を組んだ。「その子から告白されてキスされた日、僕は動揺していつもより早く学校を出た。その時に誠也の車がラブホテルから出て来るのを偶然目撃した。その後部座席に美穂が座っているのも見てしまった」
美穂は辛そうな顔で唇を噛んだ。
「その時、僕は君たちに復讐してやろうという気持ちが芽生えた。だから好きでもないその部下と関係を持とうと決心した」
「ご、ごめんなさい! 叔父さん、俺、俺、」「誠也、最後まで聞いてくれ」
英明はとっさに叫んだ誠也の言葉を遮った。
「でもだめだった。美穂には解るよね? その彼女も僕といわゆる大人の男女の関係になることを望んでいて、僕はそれに応える努力をしたが、やっぱり無理だった。一緒にホテルに入っても、抱き合いはしたが射精したことは一度もない。彼女の手前、上り詰めたフリはしたけどね。今まではっきり言ったことはなかったけど、僕は射精で快感を覚えるどころか苦痛さえ感じるんだ。自分の精液には嫌悪感を持ってるほどだ。だからできればセックスなんてやりたくないと思っている」
「英明さん……」美穂がひどく切なそうな顔をした。
「若い頃から僕はそういうことに全く興味が持てなかった。友だちが猥談で盛り上がっても、表面上話を合わせていただけ。何人かの女性と交際したけど、身体を重ね合ったのはほんの数回。その行為でもうまくいったことは一度もない。無理もないよね、僕は見よう見まねで全然乗り気でないセックスに挑んでいたわけだから」
英明は自嘲気味に小さく笑うと、テーブルを見つめながら話を続けた。
「僕は最初、その同僚のことは特段好きでもなかった。彼女が求めてくるのに応えていただけだ。それも君への復讐という吐き気を催すような下心満載で。だが、果たして彼女に愛想を尽かされ、こないだの送別会であっさり別れを告げられた時は、なぜかものすごく悲しかった。情が移っていたのかもしれない。そこで僕は気づいたんだ、これは復讐でもなんでもなくて、僕の独り相撲だったってことにね。部下の好意を利用して、自分の妻への仕返しを企てたが、結果的に自分の男としての魅力と能力のなさを改めて思い知らされ、同時に妻である君を裏切った」
英明はテーブルに両手を突いて頭を下げた。
「済まない、美穂、不甲斐ない僕を許してくれ」
美穂は慌てた。「あ、あたしの方こそ、英明さんを裏切り続けてた」
そして今にも泣き出しそうな顔をうつむかせた。「……今さら許してもらえないかもしれないけど……」
「いや、」英明は顔を上げた。「君も誠也も僕に謝る必要はない」