8.再燃-4
「落ち着いて聞いて、誠也」エリは一つ息をついて続けた。「あなたが私との子供を欲しがってないことはずっと前からわかってた。だって、今私が妊娠していることについて身に覚えなんかないでしょ? 避妊どころか、この半年ぐらいセックスレスだったんだから」
エリは自分の下腹に手を当てた。
「私も女だし、もうすぐ30だし。本能的に子供が欲しかった。実はね、あなたには不義理なことをしてるのを承知で、一年ぐらい前から肉体関係を続けている男の人がいるの。同じジムで働く人。あなたの知らない人。で、この子はその人の子供」
「お、俺、どうしたらいい?」誠也は恐る恐る訊いた。
「あれ? 怒ってないの? 私不倫してるのよ? それとも、そうか、あなたにとって私はその程度の女だったってわけか」エリは笑った。「いいよ、それで。私もその方が気が楽だしね」
誠也は黙り込み、自分の膝に置いた両手の握り拳を見つめた。
「さっきこのことを彼に電話したら、産めよ、って言われたわ。彼、バツイチだけど独身。いずれはこの子を認知するから、って言ってた。もしかしたら再婚するかも」
誠也は混乱していた。エリは俺との結婚生活を続けながら何を考えていたのだろう、俺のとるべき行動は? 慰謝料、調停、戸籍、引っ越し……軽重とりまぜた彼の身に降りかかるかもしれないことがぐるぐると誠也の頭の中で渦を巻いていた。
エリは封筒を取り出し、誠也の前に置いた。
「離婚届。もう私の印は押してある」そして彼女は静かに、自嘲気味に続けた。「これ、ほんとはもう少し早くあなたに渡すべきだったのかもしれないわね。先延ばししてたってことは、私にも未練があったのかな、あなたに対して」
「君は……それでいいの?」
「あなたももう学生じゃないし、とりあえず独り立ちできてるからね。私があなたにしてあげることはもう残ってないわ。それに、」エリは肩をすくめた。「偶然って怖いわね、私が今日これをこうやってあなたに渡す決心をしたのは朝。そしてさっき帰ってきたあなたから、女の匂いがほんのりと漂ってきた」
誠也は息を飲んだ。
「今も匂う。誰かと逢ってたんでしょ?」
エリはにっこりと笑った。
「ジャストなタイミングじゃない? 偶然にしてはほんとにうまくできてる」
「す、済まない、エリ、俺、俺、」
「何も言わなくていいわ。私、そんなこと聞きたくもない。それにあなたが私に謝る必要もない。お互い様だから。そうでしょ?」
エリは一つ大きくため息をついた。
「精算しましょう。これまでのあなたと私の関係を」
誠也の全身から力が抜けていった。
「届けを出したら、お互いに荷物をまとめて引っ越し。それで全て、何もかも終了。あなたの親戚とも敢えてつき合いを避けてきたのは正解だったわね。ま、そもそも私、自分の私生活に支障のある面倒なことには関わりたくなかったし」そして誠也を見て少し切なそうな笑みを浮かべた。「ごめんね、最後まで強烈な私のわがままで振り回しちゃって」