第5話-3
前田が数日後に再びやってきたとき、沙耶香はいきなり訪れた開放に未だ半信半疑のままであった。
だから誘われるままにバイクの後部座席に乗って、男の腰に手を廻したときも胸の中は警戒心と猜疑心で満ち溢れていた。
しかし前田はそのまま峠道を流して見晴らしのいい場所へ行き。
言葉数少なく、たわいもない話をするだけであった。
「何時からこの街に来たのか」
「普段、何をしているのか」
「どんな音楽を聴くのか」
そうしてそのまま送られて自室に戻り、ぺたりと床に尻をついてしばらく放心した末にやっと前田には何も含むところなどないことを理解し始めていた。
そこまで把握できれば後は簡単だった。
あの男は自分に好意を持っている。
沙耶香は生まれて初めての男からのアプローチに混乱に陥った。
これまでの経験では男とは卑劣な方法で無理やり奪っていくだけの存在であった。
嫌悪と軽蔑の対象。
だからこんな温かい感情を正面からぶつけられる様なアプローチに対してどんな感情を自分が抱けばいいのかも全くわからない。
何か別の目的があって騙そうとしているのではないか?
いや、それにしては手が込みすぎている。
少なくとも自分が汚された動画を前田は確認している筈、そんなオンナを相手にするのか?
しかしあのやさしい眼差しと所作が偽りで出せるものなのか、そんな器用な男なのか?
本人には全く自覚も無かったが、それは恋する少女の葛藤そのものであった。
年頃の恋愛も経ずに過酷な運命に翻弄された少女は遠回りしつつも、ようやく人並みの青春にたどりついたのかもしれなかった。
結局、その日はろくに眠れず悶々と一晩を明かした。
何の答えも出せなかったが、自分が前田の次の来訪を心待ちにし始めていることだけは確かであった。
………
二人は会うたびに距離を縮めていった。
2度目で沙耶香からも話しかけるようになり。
3度目で笑いあうようになり。
4度目で互いの名前で呼び合うようになった。
ごく自然で全うな男女のやり取りの積み重ね。
それは沙耶香にとってはもう経験することなどできようはずがないと思っていたものであった。
それ故に少年が齎す幾多の想いやりと控えめで恥ずかしげな心の交歓に。
沙耶香は心をときめかせて熱い思いを重ねていく。
悠一の妹を紹介されたときには、初々しい恋人同士以外の何者でもない状態になっていた。
ショッピングをしようと待ち合わせた場所にバイクで乗りつけてきた悠一は他校の制服を着た少女を乗せていた。
ブレザーを着たショートカット。
小柄でスリムな体躯は猫を思わせる機敏な動作でバイクから降りる。
利発そうな顔の深い二重の瞳に悠一の面影を見て、強張っていた心にもしやと疑念が浮かぶ。
「あなたが沙耶香さん? あたし、加奈。前田加奈(まえだかな)。アニキがお世話になってます。今日はアニキが毎日自慢してくる可愛い彼女が見たくてきちゃいました」
まずは自分以外のオンナの存在ではなかったことに安堵しつつ、恋人の肉親との初めての邂逅に別の緊張が出てきた。
「あ、そ、そうなんだ。アタシも聞いてたよ。とっても可愛い妹さんがいるって」
「じゃあ、アニキの周りは可愛い娘(こ)がいっぱいってことだね!」
バイクを降りてきた悠一にそう言葉を投げかける加奈。
悠一は恥ずかしそうにぽりぽりと頬をかいている。
「あー、だからつれてくるのはヤだったんだよな……。沙耶香に変なこと言うなよ」
その言葉に二人の少女は笑い合う。
沙耶香は一瞬で緊張が解け、既にこの少女に好感を抱き始めていた。
その日は悠一を後ろに従えて加奈とはしゃぎながら買い物を楽しんだ。
自分の腕に手を絡めて連れ立って歩いている加奈はまるで本当の妹か昔からの友人のような気がする。
同性といえば決して心を許せないヨウコくらいしか周りにいなかった沙耶香にとって、転校してから始めての気兼ねない女子同士の会話であった。
加奈とこれからも楽しい時間をすごせるであろうことをうれしく思い。
悠一に改めて思慕と感謝の念を強くするのであった。
その時、沙耶香は幸せに包まれて明るい未来の予感だけを感じていた。