第3話-1
東条亜希子(とうじょうあきこ)はがちゃりと開いてバタンと閉まる玄関の扉の音を聞き、娘の帰宅を知った。
とんとんと借家の二階、自室へと階段を登っていくわが子の背中に、居間から顔をだして声をかける。
「お帰り。晩御飯、できてるよ」
「……ただいま。ごめん、今日はいいや。母さんだけで食べてよ」
と、娘は顔を横に向けただけで、目を合わせず言った後、部屋の中に消えていった。
その様子と声音に沈んだものを感じて、漠然とした不安を覚える。
”なにかあったのかしら? ……また以前みたいに……”
半年ほど前。
引越ししてきた直後、娘は引きこもった。
転校した初日に学校から帰ってきた途端のことである。
陰湿ないじめにでも早速あったのかと思ったが、娘は口を開かず、布団からもでようとせずにうずくまるばかりで何もわからなかった。
若い時にできた娘で亜希子自身もまだ世長けたとは言い辛い年齢でもある。
頼るものもない来たばかりの地でさらに片親という引け目もあり、対応の仕方もわからず途方にくれた。
だがさすがに学校やその手の相談機関に行ってみようかと思い始めたころ、娘は少しずつ復活の兆しを見せてきた。
何が立ち直らせたのかはわからない。
しかし徐々に布団から出てくるようになり、遂には学校へと通うようになって安堵の息をついた。
たとえ以前には見えなかった憂鬱そうな影が時々顔に浮かぶようになり、ガラの悪い少年少女たちが訪ねてくるようになったとしても。
自分の青春時代も決してほめられた模範生であったわけではない。
そういう|やり方《・・・》の溶け込み方もあると。
ひとまずは再び訪れた日常の形に安住したのだった。
そうして娘の異常に悩んだことも過去にしようとしていた今。
再び見え始めた異変の兆候に不安を感じたのだ。
前ほど顕著ではないが、確かにこの頃は口数も減って表情が暗くなっている。
時には妙に熱っぽい顔をしているときもあり、病気かと心配したが本人は違うと言い張る。
だが今日は食事もとらないとなると……。
本人が嫌がらない程度に細心に注意を向けて、今度こそ抱える悩みごとの力になりたいと。
二人といない愛娘の幸せを若い母親は切実に願った。