隣のお姉さんは、誰と-1
「あのね、ぼくね、みはるおねーちゃんのこと、だーいすき!」
「ありがとう。お姉ちゃんも隼人くんのこと、大好きだよ」
* * *
「ああ、そう言えば聞いたでしょ? あんたんちのお隣、美晴ちゃんの話」
「はい?」
それは、菅野隼人(すがのはやと)が高校からの帰り道、三軒隣に住む今井さんという噂話
大好きおばさんにつかまり、立ち話の相手をさせられていた時のこと。
「あれよ、あれ。美晴ちゃん、もうすぐ結婚するって」
「は、はい!?」
「あら、知らなかったの?」
「は、はい……その、どういう、ことですか?」
「ええ、それがね――」
愕然とする隼人をよそに、今井さんは熱のこもった調子でことの経緯を語り始めた。
伊原美晴(いはらみはる)の父親、憲夫(のりお)は、妻の麻純(ますみ)とともに小さな
工場を経営しているが、その台所事情はここ数年の間ずっと火の車であった。
『町工場発のイノベーションで大逆転! 赤字続きから一躍、世界企業へ!』
そんな甘い夢を見られるのは、ほんのひと握りの中の、さらに僅かなひとつまみ。
零細企業の現実など実際はどこまでいっても汲々としたもので、資金繰りに苦労した挙句、
給料の遅配を招くことなどざらであった。
「どうってことないですよ、これくらい。俺達は憲夫社長と麻純さんのいるこの工場で働いて
いてえんだ。昔も今も、そしてこれからもずっとね」
古株の社員達がそう言って快く我慢を引き受け、彼らを慕う若い連中もそれに倣ってくれた
おかげでどうにか自転車操業を続けてこれたが、それも限界。いよいよ決断の時を迎えた。
「どうかね、伊原さん。例の話、考えてくれたかね」
そんな憲夫の元に現れたのが、岩倉幹三郎(いわくらみきさぶろう)。
何でも工場の経営が徐々に悪化し始めた五、六年前から、ずっと憲夫に身売りを持ちかけて
いたのだという。
岩倉は当座の運営資金を融資するのに加えて、今後に向けての投資ということで設備の買い
替えやバージョンアップなどをまとめて行うという好条件を提示していた。
それでも憲夫が話に応じなかったのは、そもそも裏から手を回して自分達を追い詰めたのが
この岩倉だという疑いを捨てきれなかったため。
だが、金がないのは首がないのと同じ。とうとう憲夫は岩倉の提案を受けることに決めた。