隣のお姉さんは、誰と-3
「少し、考えさせてください。娘の気持ちもあることですし……」
とりあえずそう言い逃れて、憲夫は岩倉にしばらくの猶予を請うた。
「私は反対です」
麻純の意見は明快。
「それはそうだが……俺達を慕ってついてきてくれた連中を見殺しにはできんし……」
対する憲夫は、どうにも煮え切らなかった。
「社員のみんなが大事なのは私も同じですけどね、だからといって自分の娘をエサにする親が
どこにいるんですか」
「う、うん……でも、あんないい条件を呑んでくれる人、もう他には……」
「これは条件がいいとかお金がどうだとか、そういう問題じゃないんです。大事な娘の一生の
問題なんですよ。美晴があんな男に嫁ぐなんて、考えただけでも鳥肌が立ちます」
「そうだな……うん。そう、だよな……」
麻純の剣幕に押されて、憲夫も一旦は腹を決めた。
岩倉の話を断り、工場はたたむ。社員達には申し訳ないが、家を売ってできるだけの補償を
しよう。美晴の学費は払い終えているので、あとはどうにか保育士の試験に受かって自立して
くれればそれでいい。自分達夫婦は安いアパートにでも引っ越して、また一からやり直しだ。
それで、話は決まったかのように思われた。
だがそれを引っくり返したのは、当事者である美晴本人。
「お父さん、お母さん。私、岩倉さんのお嫁さんになるから」
大好きな両親によくしてくれた社員達、そして愛着のある工場を思いやった末、美晴はそう
言って自ら結婚を申し出た。
「お、お前、そんな……」
「そうよ。そんなとんでもないこと言わないで」
「もう決めちゃった。岩倉さんの方にも直接伝えたから、今さら取り消すことはできないよ。
大丈夫、私ああいう人結構タイプだし、うまくやっていけると思うから心配しないで」
憲夫と麻純にそう笑いかけ、優しい嘘をついてみせた美晴の表情は、いつもと何も変わらぬ
穏やかで、柔和なものであった。
「あんないい子がねー。ほんと今の世の中、世知辛いというか何というか――」
「す、すいません! 俺、帰ります!」
なおも話を止める様子のない今井さんに頭を下げて、隼人が走り出した。
「か、母さん!」
血相を変えて飛び込んだのは、自宅の狭い台所。
「何だよ、美晴姉ちゃんが結婚するって! どういうことだよ!」
まくしたてながら、洗い物をする母の孝枝(たかえ)に詰め寄る。
「……あんた、それどこで聞いたの?」
水を止め、手を拭いてから、孝枝が隼人を見据えた。
「三軒隣の今井さんだよ! さっき帰り道にばったり会って、立ち話で!」
「あー……」
孝枝はしまったという顔で天を仰いだ。