第22話『ヌカず嫌い王選手権』-7
涙を滲ませながら、けれどアドバイスはまだあと2つ残っている。 4つ目のアドバイスは『髪型』について。 男性いわく『頻繁に髪型を変えて紛らわしい。 自分に自信がない証拠。 髪を伸ばすのも、梳く手間が増えるだけで非合理的。 そんなところにエネルギーを使ってるからいつまでたっても仕事が出来るようにならない。 いっそスキンヘッドにすればどうか。 手間がかからなくなるし、陰でコソコソ目立たないように振舞うことも出来なくなるし、一石二鳥だ』とのこと。 女性は自分が髪を大切にしてきたこと、綺麗にセットすることで自信がつくこと等を並べて抵抗したが、『でも貴方、仕事できないんでしょ? 会社から仕事が貰えてないんでしょ?』の一言で一蹴される。 結局『A』は自分から剃髪をお願いすし、その場で司会がバリカンをあた。 後には見事にすべすべした灰色の頭皮が現れ、凹凸のない頭蓋がてかっている。 『A』の頭蓋は正円だった。
『おお〜、剃りやすいと思ってたけど、こうしてみるとボーリングの球みたいだ』
『俗世煩悩を捨てるためにも、Aさんにピッタリの髪型だと思います』
『これなら毎日剃刀でサッとなぞれば整うし、これから一生スキンヘッドでゆけばいい』
『初心に帰って、もう一度自分を見直して……立派な同僚、とまでは望みません。 せめて周囲の邪魔をしない同僚目指して頑張ってください』
『……』
もはや礼をいう気力もない。 『A』は鼻を啜りながら、コクン、小さく1つ首肯した。 5つ目のアドバイスは、必然的に最後まで残った『パンツ』になる。 男性にいわせると、
『Aさんのパンツはシミが目立つんです。 鉛筆を落として拾った時とか、階段を先に登ってる時とか、ちょいちょいパンツが見えるんですけど――見える、というか、見てあげてるっていった方が正しいかなー―やたら股が黄ばんでるんですよね。 シミってだけでも恥ずかしいのに、パンツの黄ばみなんて論外だ。 自分のパンツがどんな風になってるか分かってないから、平気で他人にパンツを見せられる。 一度自分のパンツをしっかり向き合ったらいいですよ』
という。 具体的には『パンツを脱いで、股布が口にあたるようにパンツを被り、お面パンツで出社する』ことで、いかにパンツの黄ばみが恥ずかしいか、自分に向けられる視線を通じて学べという。 司会は『いう通りにするね?』と強引に迫り、『A』の諾否を聞こうともしない。 なし崩し的に下着を脱がされ、パンツに脚をいれる穴に目が来る恰好で、深々とパンツを被らされる。 男性が言った通りだった。 鼻から口にかけて大きな黄ばみとシミが共存し、『A』が息をするたびに『もわん』とした香ばしさが鼻孔を擽る。 パンツを被っているだけでも恥ずかしいのに、自分の恥部が放つ汚臭に包まれ、自分の股間の香りを意識させられた『A』。 耳どころか首の付け根まで真っ赤にして、瞳も赤く充血していた。
5つのアドバイス――『鼻毛』『体臭』『トイレ』『髪型』『パンツ』――が揃ったところで、いよいよ『A』が解答する。 このうち4つは『真心からのアドバイス』で、1つが『悪意にこじつけたアドバイス』だ。 レディ・ファーストに気づいて社会人生活を営むなら、これくらいの心理洞察は不可欠といる。 『A』が選んだ【悪意にこじつけた選択肢】は『パンツ』。 顔に被せる必要なんてないのに、わざわざ恥を掻かせるために、股布を顔に圧しつけた。 この行為には、どこをさがしても善意なんて微塵もない。 一方で司会は『トイレ』を選んだ。 『A』がトイレに長時間いようがいまいが、そんなことは男性にとってどうでもいいはずなためだ。 わざわざ男性『アドバイス』と称して『A』の行動を気にかける理由として、【『A』に堂々とサボって欲しいため】というのも、冷静に考えれば腑に落ちない。 『A』が固唾を飲んで手を組む中、男性が告げた正解は……司会が言った通り、『トイレ』だった。 『なんでよぉっ!』、予想が外れて大声をあげる『A』。 けれど結果は覆らない。 『A』は、さんざん恥をかいた上に特赦も得られず、『ポニー調教』を受けるべく、スタッフ2人に抱えられるようにしてステージを下りるのだった。
……。
番組に登場する男女には、ごく稀に『平和』なケースが存在する。 些細な喧嘩で口をきかなくなったカップルや、初めての青春に相手の気持ちが分からず、迷走を続ける少年少女。 『もっと優しくして』や『俺以外ばっかり見るのは止めろ』なんていうアドバイスは、詳しい説明を聞かずとも『善意』に由来することが明白だ。 『歩くときはお前から手を繋ぎに来い』青臭い要望を突きつける男性に、ポニー調教の瀬戸際に立たされた女性が『……そうする。いままで甘えてばっかりでゴメンなさい』と応える光景……殺伐した『2ch』において、清涼剤といって過言じゃない。
レディ・ファーストに限らず、旧世紀の『フェミニズム』がもたらした諸々の発想――例えば産休、育休、異性別競技におけるハンディキャップ制、ドレスコードの多様さ等々――は、本来女性を自由にする目的で生まれた。 それなのに、レディ・ファーストを含むほぼすべての発想が、現代では却って女性を縛る道具になっている。 過去、かつて過度に主張された女性の人権は、所詮女性に対する『特別扱い』に過ぎない。 理に適わない要望は、逆に自分を傷つける。 少なくとも現在市民女性が感じている不便さ、理不尽さの一端は、彼女たちが道理を曲げて主張した『フェミニズム』に基づいている。