季春。-5
「おっはよーございまぁーっす」
「おはよー、遅いよー」
勢いよく研究室のドアが開いて、ふーこの声が聞こえた。
黙々とコーヒーを飲む私を放って、先輩と先生は課題レポートの優劣や昨日やっていたニュースについて話していた。
あまりにも完璧に存在を無視され始めていて、そろそろ居心地が悪くなっていた頃だったので、ふーこが来たのはかなり助かった。けど。
「…遅い、ふーこ」
前回欠席した時の授業ノートを貸して欲しい。そういうから早めに来たというのに。
「ごめん優梨。でもこれには深ぁーい訳があってね……」
「わかってるわかってる。それより早く写しちゃって」
ふーこの言い訳は突拍子もない物が多い。聞かされてる身には、それが事実かどうかはかなり疑わしいくらいだ。
けど、ふーこと一緒に歩いている時、一度だけ有り得ないような状況に陥った事があるので、信じるようになった。
今思い出しても信じられないような出来事だった。
「コーヒー入れてあげるから。早くしてね」
「はぁーい」
やる気があるのかないのかわからない返事。
ついでに私と先生の分も用意すると、お盆にのせて運んだ。
先輩は、ついさっき下の階にある売店へと向かったばかりだ。
「先生、おかわりどうぞ」
「お、ありがと。…って、ゆっきーの分は?」
「え?用意してませんけど」
私がそう言うと、先生は口をぽかん、と開けてこちらを見ると、なんとも微妙な表情をした。
まるで私が不可解な行動をしたかのように。
「……えーと、何かしちゃいましたか、私」
この頃、実は紅茶の方が好きだと発覚した先輩は、たまに下の売店へ紅茶のテイクアウトをしに行く。
今もそうしているはずだ。だって、喉が渇いたとか言っていたから。
「なんで話聞いてたのに、肝心なところが抜けるかな……。いや、優梨ちゃんだけのせいじゃないけど……」
私がそう説明すると、先生は髪をくしゃりと掻き上げ苦笑した。
「優梨ちゃん、今日は何曜日?」
「…火曜日、です」
「じゃあ第何週目?」
「……さんしゅ、うめ……」
毎月第三火曜日。売店は休みだった。
「え、あ、じゃあ先輩はどこに…」
「図書館に本取りに行っただけだからもうそろそろ帰ってくるんじゃない?」
ここで一つ問題があるんだけどね、と言って先生は肩をすくめた。
「ホントは僕がゆっきーのコーヒーを入れてあげるはずだったんだ。楽しみにしてろ、って言っちゃったし…。あんまりにもタイミング良く優梨ちゃんが立ち上がったからてっきり……」
「あぁ…すみません……」
今から入れるにしては遅すぎる。何より、いま入れたコーヒーが冷めてしまう。
どうしようもなくて、ほんの少しお互いを見つめあってしまった、その時。
ガチャ、とドアが開くと、脇に数冊本を抱えた先輩が姿を現した。
「うわっ、戻ってきちゃった……」
先生は小さくそう言うと、入ってきた雪二先輩に顔の前でごめんのポーズを作った。
「ごめん、ゆっきー!コーヒーまだ出来てないんだ。今から急いで入れるからっ」
「え?…あぁ、コーヒー。あんまり必死なんで何かあったのかと……」
先生の勢いに面食らいつつ、先輩は自分の机に本を置きながら座った。
「今から入れるから、だからもう少し待ってね、ね?」
「…ってちょっと待って下さい!」
私はばたばたと駆けて行きそうな先生の腕をぐいっ、と掴んだ。