季春。-3
好きか、と聞かれたら嫌いじゃない。恋愛感情は、と聞かれたら正直わからない。
それが今の私の気持ち。定岡雪二に対する、いま現在の気持ちだった。
昔――と言っても五、六年前なのだが――は周りと同じように雪二先輩への憧れはあった。恋していた、と言っても過言ではないと思う。
周りの女の子みたいに手紙を書いたり告白したり、なんて積極的な事は出来なかったけど、それでも私は先輩が好きだったのだ。
――そう、あの日までは。
六月くらいの事だった。中三の私はもうそろそろ進路の事を考える頃だったが、余程のヘマをしない限り高等部には自動的に進学出来るのでいつも通りに過ごしていた。
学園祭も近く騒然としていた校内を、私はプリントの束を抱えて走っていた。
私の通っていた頌英大学付属学校は初等部を別の地域に置き、中等部と高等部が同じ敷地にあったので学園祭は合同で行うのが慣例だった。
それぞれのクラスにいる学園祭実行委員とは別に、中高合同学園祭実行委員会というのが設置され、その委員になっていた私は両方の校舎を行き来する日々が続いていた。
締切ぎりぎりで刷り上がった配布用の企画書を高等部の生徒会に渡せば、今日の仕事は終わり。
連日走り回って疲れは慢性的なものになっていたが、仕事に一区切りがつくと思うと少しは疲れも和らぐ気がした。
それに、運が良ければ一ついい事がある。
「――なら、おまえにはムリだろ」
「……だな」
立ち聞きなんていけない事、それくらいはわかっていた。それでも、あまり使われていないこの通路で友達と普通に話す先輩の声が聞きたかった私は、曲がり角の向こうにいる二人の会話を度々聞いていたのだった。
あの頃は好奇心が勝っていて気付かなかったけど、実際私は優越感に浸りたかったのだと思う。
みんなの知らない雪二先輩を知っていたから。立ち聞きは悪い、そういう罪の意識はほとんど感じなかったし、逆にスリルを感じて楽しかったのだ。
だから、バチが当たったんだと思う。先輩を知りたいって言う純粋な気持ちを持っていなかった私に対して。
「いい加減、現実見たらどうだ?」
「俺は…いつだって見てる」
「じゃあその女々しさはなんなんだよ」
いつもの和やかな雰囲気はなく、先輩は友達の人と口論していた。
「ミツト…、おまえ、何か勘違いしてないか?」
「…………」
「俺は彼女には頼れる先輩としか思われていない。それは絶対だ。だから何も起こらない」
「…でも、おまえは」
「でも俺はこれでいいと思ってる」
「だからっ!」
大きな声が廊下中に響き、私は思わず身をすくませた。ミツト、と呼ばれる人もまずいと思ったのか、少し声をおさえて話を続けた。けれどその口調に込められた憤りは隠しようがない程明らかだった。
「…だから、俺はその態度が気に入らないって言ってるだろ、さっきから、何度も。なぜわかんないだよ。どうしてそこまであの生徒会長に、フルトナツコにおまえは遠慮する?」
「そんな、遠慮なんかしてない」
「いや、してる。好きなら奪え、スガだかコガだか知らないけどそんなヤツ、はねのけろ。いつまでも『いいおにーさん』ヅラすんじゃねぇよ」
見ててイライラすんだ、と呟くと、ミツトさんは黙った。静寂が通路を満たした。
頭の中が変に澄んでいた。思考が出来なくなる。訳がわからなかった。
好きなら奪え?遠慮?誰に?フルトナツコ…古音、七都呼。ああ、七都呼ちゃんか。
一瞬納得仕掛けて、次の瞬間私は愕然とした。
当時の中等部生徒会会長にして、学園のアイドル。学業は言わずもがな、優秀。同じ学年で、中高でその名を知らない者はいないというくらい有名な彼女。
友達、という程親しい訳じゃないが、転入したクラスで何かと気遣ってくれた為、廊下で会うと立ち話をしたりお茶に出掛けたりしていた。今でも会うと挨拶をして近況報告をする。