前章(三)-11
「な、なんで泣くんだよ!」
思惑とは裏腹な出来事に、今度は伝一郎が仰天する。実母の菊代以来、女が泣く姿を目にするのを苦手としていた。
「すいません。何でも無いんです。唯、嬉しくて……」
「其なら良いけど。突然、泣き出すなんて、普通じゃないからさ」
「本当に、何でも無いんです」
夕子は、そう云って大丈夫な事を強調したが、その表情は明らかに普通とは違う。しかし、伝一郎は直感から、此れ以上、踏み込むのは「駄目だ」と感じ、追及を辞める事とした。
立場を行使すれば、聞き出すのは容易いが、それでは、今迄、築いて来た関係を損ねてしまうだけで無く、信頼をも、失いかねない。関係が拗れてしまわない為にも、夕子から打ち明けられるのを待つのが得策だと、伝一郎は思った。
「判ったよ。じゃあ、午後から出掛けられる様、僕の方から手配はしておくから」
「わ、判りました。宜しくお願いします」
「此方こそ、宜しく」
夕子が、会釈を交わして踵を返し、部屋の出口へ向かうところを、伝一郎が呼び止めた。
「未だ、何か?」
「下に行く序でに、此れを持って行ってくれないかな?」
伝一郎は、そう云うと、着ていた寝間着を脱ぎ出した。
「なっ!何をなさるんですか」
慌てて背を向ける夕子。伝一郎は寝間着どころか、下着まで脱ごうとしていたのである。
「わ、私、部屋の外で待ってますから」
「別に居てもらって構わないよ」
気不味さと恥ずかしさが先走り、扉の方へ駆け出そうとする夕子を、伝一郎は再び呼び止める。
「夕子も、全部着替えた方がいいよ。僕の寝間着に此れだけ染みてるんだから、君の方は、もっとだろう」
そう云うと、脱いだ寝間着を掲げて見せる。夕子が跨がっていた股間辺りに、結構な範囲で染みが出来ていた。
「あっ!いやっ!」
夕子は、悲鳴にも似た声と共に脱兎の如く伝一郎に駆け寄ると、ひったくり顔負けの素早さで、寝間着を奪い取った。その見事さに伝一郎は、一瞬、呆気に取られてしまうが、直ぐに、柔和な顔と為り、夕子の背中に声を掛けた。