エピローグ-1
理性と判断との伴はない昂奮は、純粋に競馬を楽しむ所の昂奮ではない。それでは酒に酔払つてしまふのと同じである。競馬の昂奮に泥酔してしまつてはならない。
(菊池寛「日本競馬読本」)
トレーニングルームは埃っぽい。木馬以外の場所は使っていないのだろう。別の部屋にはベッドがある筈だが、そこへは決して行きたくなかった。何年経とうが、まだ残っているかもしれない誰かさんの爪跡を見つけるのはごめんだ。
加えて、部屋を閉め切っているのだから蒸し暑かった。汗とともに征嗣の体から発せられる中年特有の臭い。決してかぐわしいものではないが、吸い込むと雫をこぼさずにはいられなかった。鞍革の上には、いつのものか忘れた滴垂の跡が幾つも伝っていた。これから、その上に新たな体液が飛ぶだろう。
「んっ……」
愛衣は馬背に逆乗りする形で片脚を折り、大きく開く股間を征嗣に向かって丸出しにしていた。その中心に指が、同時に口内にはヌメる舌が突っ込まれ、ともに荒々しく掻き回される。ピチャピチャ、クチュクチュという音は聞くだにイヤラしく、自制しようとしても無理なほど身がくねる。体内に埋められた指は抜いて欲しくなかったが、舌が邪魔だった。
「っく……、うむっ……、ね、ねぇ。……そ、それから?」
胸板を軽く押すと、征嗣が頬を舐め、顎から首筋へと降りていった。調教を終えて、シャワーを浴びていない肌身の味を確認されているかと思うと、また奥からドクンと蜜が迸った。
「……スタートが五分なら、瀬田は前に行く……。秋初戦だから、末が甘いってのもあるが、……本番でも前に行きたいから、今回のレースで馬に憶えさせたい」
鎖骨から下なら吸着してくれる。一つ一つのキスマークが、戦術の記録のように思える。腋窩や脇腹、バスト――腰や、内もも、ヒップも使ってくれていい。とにかくたっぷりの吸い痕を残して欲しかった。
「う、うん……、はっ、んっ……」
「徳井も同じだろう……。こいつはハナすら狙ってるかもしれねぇ。……徳井がハナに行きゃ、瀬田は壁を作ってお前を塞ぐ……」
「やっ……、はあ……、と、閉じ込められる、の……? や、やだな……」
不利な状況に陥る自分の姿を想像すると、何故か愛衣はよけいに情欲が増し、征嗣の手首に白く濁った蜜を伝い落とした。
「だが、徳井の馬は最後まではもたねぇ……。二千二百メートルは、むっ……、おおっ……、奴の馬には長い。必ずどこかで止まる。……瀬田は馬場のキレイな外を回すから、徳井が開けた壁の穴を抜ければ、……っぐ、躱しきることができる……。……穴が空くのが遅けりゃ……」
「あっ……、やっ、……ね、ねぇ、そこ、大事……?」
「ああ……」
「……、ち、乳首……、噛んで」
汗を滲ませた麗しい隆起の先端に息づく淡い蕾へ歯が立てられ、痛みともどかしさが釣り合う強さで齧られた。
「うああっ……!!」
「……空くのが遅けりゃ内だ。ト、トライアルだ。瀬田が強くても、二着は確保できる……。……んっ」
征嗣は右から左のバストへ移ろうとした。そんなことをしたら記憶が混乱する、と思った愛衣は、左の胸乳の頂点を隠すように掴み、そのまま自分で揉み込んだ。
「ね、ねえ、パパ……」
征嗣が止まって見上げた。口を半開きにして、涎を溜めた舌を覗かせてやると、鼻から溜息をついて立ち上がってくる。愛衣はバストから手を離し、傍らに置いていたレビトラを舌に載せ、片腕を広げて胸の中に征嗣を迎える体勢を取った。
「……秋田に本物の親父さんいるんだ、その呼び方やめろ、って言ったろ」
「ひゃって……、そのふぉうが、こうひゅんするって、おふぉって……」
「何言ってるかわから――」
愛衣は征嗣の後頭部を掴んで引き寄せ、口内へ舌を差し込み、錠剤を唾液で流し込んだ。減量に苦しむ征嗣は、いつもすぐに効いてくる。
「んっ……」
キスをしていると、作戦会議ができない。だが一度を吸い合わせ始めると、さっきのように意図的なきっかけがなければ、なかなか離れられなくなる。
包皮を剥いて性感を充溢させて隠れていた種実を指腹で弄られ、
「ふぁ……、ああっ……!」
愛衣は舌が絡みあう接面に、喘ぎを散らした。「ああっ、パ、パパッ……、ああっ……」
声を我慢できない。腰を支えてくれたので、木馬についていた手も安心して離し、両腕を首に巻き付けて天を仰いだ。天井との間の虚空に、直線の光景が生々しく映し出される。
「い、いく……。ね、ねぇ、ゆ、指もしてぇっ……」