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気配
【スポーツ 官能小説】

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気配-4

 征嗣は愛衣の靴底を掴んだ。驚いたように足を引きかけた愛衣だったが、もう一方の足を向こうへ巡らせた。鐙を外して背筋を伸ばし、一礼して馬を歩ませていく。
 ベテランと言われるようになって久しくやっていなかった騎乗補助だが、愛衣の足の感触は、これまで持ち上げてきた騎手たちとは感触が違うように思えた。柔らかい。こちらへ向けたヒップといい、スキニーに包まれた下肢は当然のことながら女らしく、なまめかしい曲線を呈していた。
(ったく、ガキ相手に何考えてんだ)
 下半身にモヤモヤとしたものを感じて自嘲していると、
「本当に、頼む」
 少なくなった髪を撫でつけて帽子を被り直した田野山が、愛衣の後ろ姿を見つめながら言った。
「俺なんかがとやかく言うよりも、先生が指導したほうがよっぽどためになりますよ」
 謙遜ではない。征嗣自身、田野山が言うことには耳を傾け、素直に従うことで勝ち星を挙げてきたと思っている。
「何かできるのはパドックから出る前までさ。そっからは手が出せねえ。ナマのいくさ場を知らねえしな、俺ぁ」
 騎手経験がないことを言ってるのだろう。田野山は征嗣の背中を拳で軽く小突き、「やっぱ実戦のことは、現場にいるヤツが教えてやらねえと。……けれど変な手出すのはやめてくれよ」
「まさか」
 愛衣の身体に邪な感慨を持っていたことを見透かされたようでギクリとなりつつ、「……それだって、これだけ騒がれてるんですから、色んなヤツが勝手に色々教えてくれますよ。俺の出る幕はないでしょう。ま、悪い虫を追っ払えってのなら、承りますがね」
 と軽口を叩いた。
「カラダが柔らかい」
 すると田野山が唐突に言った。
「……女の子だからって、変な意味じゃないぞ。正確には、関節が柔らかいんだ。馬では見たことがあるが、乗り役じゃ見たことがない」
 サラブレッドは疾走は時速七十キロ程度、バイクと同じようなスピードだが、馬体が激しく上下する点が異なる。騎手は頼りない鎧に爪先を引っ掛けただけの前傾姿勢で、膝を使って衝撃を吸収しながら乗るのだ。愛衣の背丈は一六〇センチあるかないかだろうが、頭が小さく手足が長かった。その身体が、全身をサスペンションのように動かせる資質を秘めている、と言いたいのだろう。
「そんなにもですか」
 馬も人も、あまり直接的に褒めない田野山が言うくらいだから相当だ。率直に感心すると、
「だが視野が狭い。……性格かな。意識が一つのことにガッといっちまうタイプだ。だからラップもめちゃくちゃになる」
「ラップなんて数乗ってりゃ体が覚えていきますよ。視界の広さだって……、要は慣れです」
「そうじゃねえんだろ?」
 田野山は腕組みをして長い息をついた。「杉島だって本当はわかってるだろうが。ラップ刻めようが、周りが見えようが、それだけじゃ勝てねえ。まだデビュー前だが、あの子は、……きっとわからんな」
「わからない?」
「次に何が起こるか、だよ」
 征嗣は意図的に笑顔を作ってみせた。
「そんなもん、俺にもわかりませんよ」
「いや、お前にはわかる。レースで勝ち負けできる連中は、それができるんだろ? できなきゃ勝てねえ」
「……そんなことできりゃ、俺は今ごろ伝説になってます」
「だな。……お前らが、次に何が起こるかはわかっても、その通り馬が走ってくれるとは限らねえよな」
 田野山もまた意図的に表情を緩めているように見えたが、「あの子は思い通りに馬を走らせるようになるぜ。お前らにできないことができるようにしてやる。……しかし残念ながら、あの子はお前たちみたいに『察する』ことができん。これは俺には教えることができねえ。そうだろ?」
 と言った顔は引き締まっていた。
「……」
「あんだけの身体持ってて、嗅覚、ってやつは今んとこゼロ、下手すりゃマイナスだ。ったく、神さんだかお天道さんだか知らんが、二物を与えずとはよく言ったもんだぜ」
「先生、なんで、今になって弟子とられたんですか?」
 征嗣は田野山というホースマンに長年持っていたイメージが覆されていくような気分になって、普段は尋ねないようなことが口から出てきた。
 定年までもう幾ばくもない。今さら所属騎手を持つ厩舎のメリットは何も思い浮かばなかったし、話題先行の女性新人ならばなおさらだった。マスコミがやたら騒ぎ立てるだろうし、育成状況を見張られているようなものだ。常に馬を主体に考え、マスコミはおろかスタッフにも騎手にも、馬主に対してすらも、下手なサービスを打たない田野山らしくない。
「杉島。お前最近、馬に乗ってて楽しいか?」


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