第二章 報復されたシングルマザー-9
夫がブランケットの中で脚を開かせてくると同時に、俊介がグズり始めた。
「ね、俊介が……」
一旦中断して、宥めてやりに身を起こそうとした肩をベッドに抑えつけられた。あの泣き声を聞いてのまさかの行動に驚きの目で見返すと、薄闇の中に夫の平然とした顔と、その眼の中にギラリと煌めく邪な光を見た。
「ま、待って……! 俊介がっ……」
何かの勘違いだろう、興奮のせいで気づいていないのだ。涼子が胸板を押し返そうとしたその時、有無を言わさず夫の肉棒が入ってきた。
「うっぐっ……。ね、ねえっ……!」
今まで愛しみの化身だったはずの男茎は、涼子の中に入り込むと、独りよがりな律動を始めた。性楽など起こってくるはずがない。その間にも、俊介の泣き声が大きくなっていく。
「……はっ、離してっ! うっ……、な、何考えてるのっ!」
抵抗しようとしてもしっかりと押さえつけられて、無遠慮な腰使いで男茎を突き込まれる。好きなだけピストンされた果てに、奥まで押し入れてくると、裸身の先端から子宮へ向かって精液が浴びせかけられてきた。
「いやぁっ……!」
危ない日だった。
夫は涼子のサイクルを把握していたのかもしれない。その証拠に、体を離すや身繕いすることもなく急いで俊介のもとに駆け寄った涼子に追いてきた夫は、妻の肩越しに我が息子を愛しみながらも、
「……俊介も、弟か妹がいたほうが、しっかり屋に育ってくれるよな?」
と言ったのだ。
夫は全く愛を感じさせないセックスをしてでも、もう一人涼子に身篭らせて、また休暇を取らせるなり、退職を薦めるなりして、家へ縛り付けようとした。そう確信できた。
涼子は離婚した。夫は俊介を引き取ることに執着しなかった。涼子も渡すつもりはなかったが、そもそも彼はこれからキャリアを積む上で、俊介の存在を邪魔に思っているようだった。
だから以来、夫とは会っていないし、俊介も会わせてはいない。
涼子にとってはあの夜が最後のセックスだった。妖艶さが備わってきた涼子の美しさに、離婚後も勇気を出して言い寄ってくる男は多くいた。しかしあの最低最悪のセックスのせいで、母から女に戻って悦びに浸ろうなど発想すら湧かないようになった。
男にとっての「オンナ」にはならない。母であると同時に、性別を超えて世界レベルで通用する人材になってみせる。
自分がビジネスにおいて一線級で通用することを証明するために、妊娠した女性社員を蔑ろにした会社を去り、今の会社へ移って満身の努力をした。現場においては、ときに冷たすぎる、厳しすぎると批判されることもあった。涼子とて人から煙たがられたいわけではないから、己を通すことに躊躇することもあった。だが俊介の顔を思い出し、そして子を産むという責務も負っていないくせに職場で横柄に振る舞う男たちへの対抗心が、会社が奨励する結果至上主義を涼子に貫かせ、実績を重ねて社内での地位を確固たるものにしていったのだった。母でありながら一流の経営コンサルタントとしての活躍を見せる涼子を、ビジネス誌は取材に来たし、ある政党に至っては参院の立候補まで打診してくるほどだった。
親子の時間を最大限取るようにしているが、常に母親が側にいる子に比べたら、俊介に寂しい思いをさせてしまっている。かつ、仕事を貫くために迷惑をかけているのは俊介だけではない。
涼子と五つ離れた兄もまた、結婚に失敗していた。涼子ほど優秀ではなかったが、気の優しい兄と涼子は仲が良かった。昔から気性が激しいところがあった涼子の良き理解者だった兄は、気が優しいがゆえに妻に浮気され、なのに何故か相手の方から何やかやと理由を付けられて、大した反論もできず子供を押し付けられた挙句に慰謝料も大して取れずに離婚させられていた。
「ほんと、結婚がヘタクソな兄妹だよなぁ。親に申し訳たたねえや」
兄も修羅場を経験したはずなのに、妹の離婚直後にのほほんとしてそう言った。いかにも兄らしい鷹揚すぎる言葉に、涼子は苛立つよりも、ささくれていた心がむしろ癒された。
お互い子育ては大変だろうから協力しよう、と金を出し合って家事代行を雇ったり、仕事で遅くなったり出張する時は俊介を預かってもらえた。子供を抱えていながら涼子が仕事に邁進できたのも、兄の支援によるところが大きい。
だが――。
「涼子さん、お、お帰りなさい」
俊介が走り出てきた廊下へ、遅れて郁夫が出てきた。兄の子だ。兄は若くに結婚して郁夫をもうけていたから、もう十九歳だった。
「あら、郁夫くん……、来てたの」
俊介に対してとは口調だけではなく声音も変わってしまう。
「郁夫にいちゃんがゲーム持ってきてくれたの! すっごい上手なんだよ、郁夫にいちゃん」
と興奮気味に涼子を見上げてきた。そうよかったわね、とニッコリと微笑み、極力その笑顔を崩さないように郁夫に向けると、
「面倒見てくれてありがとうね」
と言った。