第二章 報復されたシングルマザー-8
息子は掛け値なしに可愛く、かけがえがなかった。
修士を終えてから、MBAを取得するために単身留学した時、同じ道を目指す男と知り合った。
中には簡単に資格を与えて海外の生徒を集めようとするいい加減な学校もあったが、涼子は敢えて取得困難と言われる大学校を選ぶという苛酷な道を選んでいた。同じ理由で彼もこの学校を選んでいると知り、知人のいない異国の地で、日本人どうしで研鑽し、激励し合っていれば自然と親しく、そして恋人となっていった。
一年早く来ていた彼は先に目的を果たし、帰国して総合研究所に入った。一年以上も海を挟んだ遠距離恋愛をした後に涼子も取得を果たすと、帰国して外資系のマーケット調査会社に入った。彼と同じ会社からも誘われていたが、将来を考えた時、産休・育休が名ばかりである旧態とした日本企業よりも、外資系の方が実態として定着しているだろうと判断してのことだった。
入社直前に籍を入れた半年後、涼子は妊娠した――してしまった、と言ってよい。
女性に対する福利を理由に選んだ会社だが、一年から二年は子供を作らず精進するつもりだった。出産年齢は気になるが、せっかく時間も金もかけて高度な学問を修めたのだから、それをフルに活かして現場で確固たる地位を築きたい。それからでも子供は遅くはない。
結婚前に夫に意思を伝えると、快く承諾してくれた。
はずだった。
だが夫が避妊なしのセックスを求めてきて、その悶々とした辛そうな顔と、口から囁かれる愛の言葉に負けてしまった。一度きりのつもりが、そのたった一度が実を結んでしまった。
堕胎しようかと夫婦で相談した。しかし夫はせっかくの二人の愛の証明を見殺しにしたくないと言ったし、涼子もまた同じ気持ちだった。
MBAを苦労して取得した。金も時間もかかった。
だから堕ろすのか? そう自分に問いかけた時、特に宗教的にも人道的にも信念は無かったが、心の底から起こった答えはノーだった。
キャリア上、足踏みすることにはなるが、育休が終わってからでも充分盛り返せると思った。会社に報告し、産休・育休の取得を申し出た。
社内でも事例は見かけていたのに、報告すると上司は更に上司に報告し、暫く後に応接室に呼ばれて二人から部署と職種を変えるように薦められた。半年の間に証券アナリストとしての仕事に充実感を感じ始めていたから、道を変えるつもりはない、と拒否したが、二人の説得はしつこかった。
会社からの説得に応じないまま産休に入り、俊介を産んだ。育休もフルに消化し、一年ほど経って会社に戻ってみると、すぐにアナリスト部門から外されることになった。
後になって慎重に社内を見渡してみれば、産休・育休を取っているのは、比較的長閑やかな部門の女性たちで、本業たるマーケティング部門はそもそも女性が少ない上に、妊娠すればすぐ退職が通例だった。海外ファンドが日本の調査会社を呑み込んで設立された会社は、看板が変わっただけで旧来の体質は変わっていなかったのだ。
実質、会社に歯向かったが故の左遷だった。新しい部署は涼子のスキルを活かせるとは思えなかった。忙しくはない。だがせっかく取った資格なのだから、会社を移ってでもやり直したい。そう考えるようになった。
だが三十二という年齢からやり直すにも不安がある。かつ、幼い俊介がいるから、夫の協力は絶対になってくるだろう。涼子の中で転職の決心がついた辺りで、夫に相談を持ちかけた。
夫は総合研究所で上席から主席へと上がろうかという充実した時期であり、この先は実務だけではなく社内外で政治が必要になってくるから、人も羨む美しい妻による支援を期待していた。「内助の功」というやつだ。
だから夫は最初、涼子の矜持を傷つけぬようやんわりと渋った。しかし、やがて話し合いは行われる度に口論となるようになり、今のままなら閑職なのだから子育ての時間も十分確保できるだろうし、わざわざ忙しい一線級の職場へ移って欲しくない。
そういう夫の思枠が分かってくると、涼子は出会って初めて彼に心からの失望を覚えた。
或る夜も物別れとなった口論の後、お互い背を向け合ってベッドに入り、無言のまま寝入ろうとしていた。暫くすると夫が身を寄せてきて、涼子の耳元で「ごめん」、そして「愛してる」と囁いてきた。
意見はぶつかってはいるが、根底では夫婦の愛は健在だ。そんな旨のことを囁き、涼子に深い口づけをしてきた。正直、夫にキスをされても昔ほどのときめきを感じないようになっていたが、繰り返される口論に疲れていたし、今一度、彼と夫婦であることはどういうことかを確かめたくなってセックスの誘いを受け入れた。
ベッドの中で夫に肌をまさぐられ、胸乳から脚の間にまで唇を這わされたが、涼子の空虚は埋められることなく、所々に隙間が生じて手元からこぼれ落ちていくかのような中途半端な性感が続いた。幾ばくかは潤ってきても、性愛に身を浸すことができず、夫に抱かれている今の自分をどこかから俯瞰している妄覚すらあった。