追憶のアネモネ〜捨てられない女〜-1
会社の最寄り駅にほど近い場所にその店はあった。
SNSに載せるようなお洒落な飲食店ではなく、外観はどこにでもある普通の居酒屋という印象だ。
入り口が狭く、二階へ上がる階段も狭い。
「いらっしゃいませー!」
威勢の良い声に出迎えられ、少し気後れしながらカウンター席の様子をうかがう。
ほとんどの客がスーツ姿のサラリーマンやOLで、仕事帰りにちょっと立ち寄ったという雰囲気で談笑している。
「何名様ですか?」
若い女性従業員にそう訊かれ、二人ですと伝えた。
どうやら二階の個室が空いているようなので、そこへ案内してもらって席に着いた。
と言っても完全な個室ではなく、出入り口を暖簾(のれん)で目隠ししているだけなので会話は筒抜けだ。
熱いおしぼりを受け取り、とりあえず生ビールを二つ注文した。
「会社の近くにこんなお店があったなんて、ぜんぜん知らなかったです」
メニューに手を伸ばしながら奈央(なお)はお愛想を言った。
「でしょう。先月にオープンしたばかりだから、あたしもまだ常連てわけじゃないんだけどね」
さも自分の手柄のように晴美(はるみ)が応じる。
「でもほんとうにいいんですか?ご馳走になっちゃって」
「いいのいいの。それにほら、クーポン券だって使わないと勿体ないし」
と、晴美は顔の前でクーポン券をひらひらさせた。
「先輩、それ」
「なに?」
「エステの優待券ですけど」
「あっ、ほんとだ。しかも有効期限切れてるし」
かるくショックを受けながらも晴美は動じない。
「使う予定はないんだけど、捨てられなくて」
「わかります。ポイントカードとかもすぐ溜まっちゃいますもんね」
「なんてったって庶民の味方だから」
ビールとお通しがはこばれてきた。
「それじゃあ、奈央の結婚を祝して、乾杯」
「ありがとうございます」
そう言って冷えたジョッキを掲げた後、それぞれが一口目の喉越しを堪能する。
アルコール好きの奈央など、一気に半分ほど飲んでしまった。
「ちょっと、婚約したと言ってもまだ嫁入り前なんだし、ほどほどにしておきなさいよ?」
「大丈夫です。こんな程度じゃ酔いませんから」
けろっとした表情の奈央だったが、そんな可愛い後輩のことを晴美は心配する。
「ひょっとしてマリッジブルーなんじゃない?」
「うーん、自覚はないですけど、どうなんだろう」
「あたしでよかったら相談に乗ってあげる」
「そういう大げさなアレじゃないんですけど」