前章(二)-7
時刻は午後三時──。屋敷の使用人逹の顔が、皆、一応に緩んでいる。午後の休憩時間と相成った為で、此処からの三十分程、御茶と菓子を食しながら談笑に浸る事で以降の活力を蓄える、言わば女給にとって、この上無く貴重な時間帯がやって来たのだ。
「──夕子!」
先輩女給の“姉様”逹が集まる食堂に、洋盆に御茶と菓子を乗せて夕子が現れた。
「はい!何でしょうか、亮子さん」
夕子は、一人々に御茶と菓子を手渡しながら、亮子の方に目をやった。
「今、女給長さんと話してたんだけど、此処に坊っちゃまを御呼びしては如何って」
「こ、此処にですか!?」
亮子の思い付きを聞き、夕子は思わず、身を強張らせた。
「熱っ!」
「あっ!も、申し訳ございません」
手渡していた御茶を、暁子と言う先輩女給の手に溢してしまう。その動揺具合が半端無い。
「気を付けなさいって、何時も言ってるでしょう!」
「す、すいません!」
しかし、被害を被った暁子も含めて先輩女給は誰一人、夕子の狼狽えぶりに疑問を持った様子も無い。
先輩女給からすれば、夕子は未だ、女給歴一年未満の“半人前”で、此れ迄、幾つもの失敗を繰り返してる事から、今回も“その類”だと思われた様だ。
「それで……どうして急に?」
「実は今朝もね、私と重美さんとで話掛けて見たのよ」
亮子が示す経緯によると、会話を交わした事によって、此れ迄、頑なな印象しかなかった伝一郎は、事実は全くの逆で、気さくな好青年だったと暁子等の先輩女給に聞かせた処、「俄(にわか)に信じられない」と、疑うので、実際に会って検分しようと言う事に至ったそうだ。
「だからさ。お連れしてくれないしら?」
「わ、私がですか!?」
「ええ。だって貴女、伝一郎様の“御部屋係”でしょう」
亮子は、論を俟(ま)つ迄も無く“夕子の役割”だと主張した。が、その棘の有る言い回しには妬みが窺える。昨年迄の四年間、伝一郎の世話係として従事して来たのは他ならぬ亮子で有り、今年も当然、自分だと疑いもしなかった。
ところが、いざ、蓋を開けて見ると、その役割を夕子に替えられた訳で有る。それ故、憤懣(ふんまん)やる方無い心境を、夕子にぶつけているのだ。
「──とにかく、お願いね」
「は、はあ……」
先輩の“姉様逹”の頼みでは断れる筈も無く、夕子は伝一郎を呼ぶ為に、二階へと向かう羽目となった。
(何だか嫌だわ。今朝の事も有るし……)
二階への道途中、夕子は複雑な心境であった。今朝の出来事から余り時間も経って無く、又、あの部屋で顔を合わせる事が不安で仕方が無い。
(あの時は、何とか堪えられたけど、若しも、次も同じ様にされたら……)
夕子の脳裡に今朝の出来事が甦り、頬が紅潮する。彼女は、自分の“変化”に気付いていた。