前章(二)-16
「話は以上だ。行っていいぞ」
「えっ?あ……はい」
伝衛門と言う“男”の、物事の捉え方を垣間見て、伝一郎は自分の行動が、十七歳と言う若さが生んだ浅計だった事に衝撃を受け、情けなさが込み上げて来た。
打ちのめされた様に、黙って部屋を出て行こうとした。
その時だ。どうしても、伝えねば為らない事柄が一つ残っていた事を思い出した。
「父さま」
伝一郎は、扉の前で、徐に振り返る。胸中には、先程迄以上の緊張が涌き上がって来た。
「どうした?未だ、言い足りないのか」
「い、いえ……先程迄と違う御話が有るのです」
「何だ?言ってみろ」
伝衛門に促され、伝一郎は顔が異様に強張って行くのを覚えた。が、部屋の薄暗さが幸いして表情は覚られていなかった。
「あの……義母さまの事ですが」
「ああ、貴子がどうかしたのか?」
「そ、その、い、何時迄、あの様な状態で放って置かれるのですか?」
伝一郎の言葉を聞いた伝衛門は、途端に眉を顰(ひそ)めて渋面へと変貌した。
明らかに、嫌悪を顕にした態度のまま、突如、机の引き出しからシガレットを取り出した。
包装に“STAR”と、アールヌーボー調の赤い飾り文字が目立つ紙巻き煙草は、十本入り八銭で、伝衛門の発足した会社が販売している物であり、今や“敷島、朝日”と言った、他社の有名銘柄と互にして生産が追い付かぬ程、売れに売れている商品である。
「お前もどうだ?」
伝衛門は、そう言うと、シガレットを息子の方に差し出すが、
「いえ。僕は呑まないので……」
「何んだ?儂が御前の歳の頃は煙草だけでなく、酒も女も済んでおったもんだぞ」
体よく断られた事が面白く無いのか、今度は仏頂面で、煙草に火を点けた。
「ふぅーーっ」
ゆっくりと吸い込んで肺に溜め、勢い良く吐き出すと、辺りは煙にまみれる。伝一郎は、煙草を呑む父親の傍に立ち続け、煙で噎(む)せそうに為りながらも、じっと様子を窺った。
しかし、ニ度、三度と急わしなく煙草を呑むばかりで、一向に口を開く気配が無い。
「あの、父さま……」
痺れを切らした伝一郎が、先に何かを言おうとした時、
「その件は……」
伝衛門が、やっと重い口を開いた。
「──その件は、香山に全て任せてある。御前が気に病む事柄では無い」
「そ、そんな!」
(その香山自身が、不義密通を犯してるんだぞ!)
耳を疑う様な言い分に、伝一郎は思わず、口から“本音”を吐き出しそうに為るのを、必死に喉の奥で止めた。
「でも、あれ以上、放って置いたら……」
「しつこいぞ!話は終わった、出て行けっ」
父親の、怒号とも取れる大声を目の前で炸裂され、伝一郎は、話の途中で部屋から出て行かざるを得なかった。