前章(二)-14
夕食を済ませた伝一郎は、入浴後、自分の部屋から一つ上、三階に唯一つ有る伝衛門の部屋に向かっていた。
「一体、何の用なのか……」
夕食で食堂に到着すると、伝衛門は既に、奥の上座に腰掛けていた。
互いに会釈を交わした後、どの様に切り出そうかと、思案するばかりで言葉が出ない事に、気不味い思いが先走っていたが、伝衛門は何も言わず、食事に集中している様だった。
「──それにしても、相変わらずの食いっぷりだったな」
伝衛門の食事作法は、とても褒められた物で無く、それは正に“貪る”と言う形容が的確で有る。此れは、長年、野鄙な炭坑夫と生活を共にして、食事をする暇さえ惜しんできた為でもあった。
伝一郎は、半ば圧倒される形で、その光景を見入ってたが、伝衛門はさっさと食事を済ませると、席を立って出て行ってしまった。
全てを呆気に取られていた伝一郎の元に、「部屋に来る様に」と、伝えられたのは、入浴を済ませた直後の事だ。
(この部屋に来るのも、随分と久しぶりだな)
三階に上がると、他の階と違い、廊下の照明も小さな物が一つだけ。仄暗い廊下は僅かな距離だけで、その突き当たりが伝一郎の部屋だ。
此処を訪れたのは、菊代の下を離れた直後。五年以上前になる。
「父さま、伝一郎です」
扉を二度叩き、軽く咳払いをして、伝一郎は声を発した。
すると、扉の奥から「入れ」と言う、野太い声が挙がった。
「失礼します……」
緊張の解けぬまま扉を開けると、先ず、部屋の奥、一間程の長さは有ろう大机が目に飛び込んで来る。その向こうに此方と対面する格好で、伝衛門の姿があった。
伝一郎の緊張が、一気に高まる。
「──お呼びでしょうか?」
平静を装おうとする伝一郎だが、野鄙な炭坑夫を束ねて来た男の鋭い眼光を前に、十七歳の餓鬼が太刀打ちして敵う物では無い。更に緊張は増し、口の中が渇くのが判った。
伝衛門は暫く、息子を睨め付けた後、机の引き出しから手紙の様な物を取り出すと、口火を切った。
「伝一郎。御前の行く末を案じて、菊代が儂に手紙を寄越して来ておるぞ」
「ええっ!?か、母さまが」
前に置かれた手紙は、確かに菊代の文字で、要約すると、伝一郎が手紙を寄越す事と、その中に無駄遣いをする様が記されており、将来の跡継ぎとして憂いていると、認(したた)めてあった。
「儂は、寄宿学校と言う物を知らん。知らんが、都会の生活は何かと物要りだと香山が言うので、あいつに任せておる。じゃが、この菊代の心配ぶりでは、考え直さんといかんのかも知れんな」
多分、子供逹に買い与えた事だろうが、まさか菊代から此の様な形で裏切られる等とは、露程も思わなかった。
「どうした?申し開きも出来ない程、驚いたのか」
「い、いえ……」
しかし、伝一郎には“自分は間違った事をしていない”と言う自負が有った。