前章(二)-12
夏に珍しい長雨は、夕刻を迎える頃になると、すっかり上がってしまい、空一面、夕焼けに染まっていた。
「凄いな、あんな先迄見渡せるなんて」
伝一郎は一人、縁台に出て自然の織り成す美しさと、人が生み出した建造物との対比を眺めて、感嘆の声を挙げていた。平時は煤に煙る此の街を、雨水が綺麗に洗い落として先が見渡せる程に、澄んだ空気が流れている。
しかし、此れも一時の内だけであり、明日には又、何時もの姿に戻ってしまうだろう。伝一郎には、それが残念で為らなかった。
「此れだけの街だ。こんな景色を何時でも見られる様に成ったら、更に人が集まって、もっと活気溢れる街と為るだろうに……」
急激な近代化と、二つの戦争によって齎(もたら)された産業構造の転換、大規模化は、石炭産業を国の基幹産業へと押し上げて、隆盛を極めつつ有った。
将来の、更なる供給増を見越して日本全国で、良質の石炭を求めて試堀が繰り返される様に為り、その幾つかは新しい産炭場として誕生するに至った。
だが、此処に来て、憂慮すべき点が幾つか生まれていたのである。その内の一つが、煤や煙が人々に与える身体的影響である。
具体的な被害は、未だ、明瞭で無いが、内務省、衛生部の統計では、炭坑夫を除く、産炭場の有る周辺の街に限定して、年寄りや子供の喘息持ちの比率が高いと言う、結論が為されていた。
当然、伝一郎は、内務省資料など見る立場に無いが、空気の汚れが人々の集まりを遠ざけているのだと、直感で判っていた。
隆盛を極める産業だが、技術職を除いて集まって来る人間は、往々にして、世間とは一線を画す者逹が大半である。
産炭は、落盤事故等や火災を伴う危険を孕んだ仕事であり、従って、※1科人だった者や※2賤人と言う、世間並みの仕事に就けない者が多く、他にも、一攫千金を夢見て渡来した※3朝鮮人も数多く働いていた。
此の様な野鄙(やひ)共が主な住人で有る事は、押し並べて公衆道徳は拙劣で物騒な上、警察だけの力では全てを抑え込むには至らず、故に、警察に頼らない“自分逹の事は自分逹で片を付ける”と言う、粗野な気風が蔓延る街が大半で、その事も街の発展を妨げる起因と為っていたのである。
しかし、此の“伝衛門の街”は他の炭鉱街と比較すれば随分と治安も好く、おかげで僅かずつだが一般住民も数を増やしている。此れも須(すべか)らく、伝衛門の尽力の賜物であった。
(そんな街の行く末を、邪魔し兼ねない存在……)
空の色が、緋色に変わって行く中、先程迄、喜びを発露していた伝一郎の顔に、険しさが宿る。
義母の貴子と執事、香山との不義密通──。
此れを、屋敷の者に気付かれる事無く解決を図る為、夜半過ぎ迄掛かって、彼是(あれこれ)と思案を繰り返した。そうして漸く導き出した方法を、今夜、実行するつもりで有る。
──使用人の香山はどうにでも為る。父さまに密告すると脅せば、大人しく退くだろう。そうなると厄介なのは、やはり貴子の方だ。
先の戦争での過分なる活躍により、新華族として子爵の称号を得た五味重臣の長女として生を受けたが、名ばかりの華族では“子爵”に相応しい生活が賄える筈も無く、即ち、伝衛門から支援と称した“施し”を得る為、娘を嫁がせた訳である。
つまり、家柄を堅持する為に、娘を金に代えた訳だ。
しかし、此の縁組みは、伝衛門が望んでも叶わなかった“家柄”と言う格式を手に入れる事が出来たばかりか、今は基より、将来と言う意味合いにおいても、相当大きな利点を含んでいる。
自らの意志に関係無く、父親に言われるまま、ニ回り以上も歳の離れた素性も知らぬ男に、嫁がされた貴子。
田沢家の嫁の使命として跡継ぎを産んだ時には、夫の伝衛門は無論の事、実家の五味家からも、沢山の訪問者や御祝いの品々が贈られて来た。
まさに、貴子にとって、我が世の春が巡って来たような心地だった。
ところが、それも、一粒種であった貴喜の死によって、貴子は絶頂の極みから一転、絶望の縁へと追いやられてしまった。連日、我が子への哀悼と自責の念にかられ、哀咽に暮れる貴子。正常な精神状態を保つのさえ儘ならない中で、夫である伝衛門が取った行動は、彼女を更に追い詰めた。
妾の子、伝一郎を嫡子として迎えたのだ──。