前章(二)-11
「じゃあ、言う通りに行くよ」
「あ、有難うございます!」
今からでは僅かな時間しかないが、取り敢えず面目は立つ。夕子の表情が、安堵の色に染まった時、徐に伝一郎が言った。
「行くからさ。“目覚ましの儀式”をして呉れないかな?」
「ええっ!」
唖然と言う顔の夕子。余りに狡獪(こうかつ)な態度に、呆れて言葉が出て来ない。
「どうする?僕は、どっちでも良いけど」
薄く笑う伝一郎。年若い、立場の弱い事を利用して追い詰める様が、実にいやらしい。
ところが──。
「判りました。“目覚めの接吻”ですね」
そう言うと夕子は、伝一郎の両肩に手を掛け、力任せにベッドに押し倒した。
此れには、流石の伝一郎も驚いた。
「どうしたんだい?今朝と違って随分と精力的だね」
「行きますよ……」
揶揄かう様な言葉に一切の反応を見せず、夕子は、果敢に唇を重ね合わせた。
「んっ……うん」
先程迄、この部屋に近付く事さえ怯えていた夕子が、此処に至って変貌を来したのには、理由が有った。
「ふぅん……うんっ……」
自分の身体が、おかしく為った原因は、今朝の接吻による物だと言う確信は有る。しかし、何故、そう為ったか迄は、皆目見当も付かない。もう一度、試みる事が、原因を突き止めるには最良だと言うのが、主な動機だ。
「はぁ……あ、あんっ……」
そして、もう一つは、無垢だった身体に“快感”と言う“楔”を打ち込んだ此の男に、“渇き”を満たして貰いたかった。
「はぁ……はぁ……」
二人の距離が、ゆっくりと開いて行く。しかし、互いの視線は捉えたままに。
「はぁ……さあ、参りましょう」
約束を果たした夕子。その頬は紅く上気し、瞳を潤ませている。その表情を、下から眺める伝一郎は満足気に微笑んだ。
「夕子。今朝とは別人みたいだ……」
「あっ!……」
伝一郎の伸ばした右手は、夕子の頬を優しく撫で上げ、やがて首筋を伝い、耳朶を軽く摘まんでいた。
夕子の頬は益々、紅く色付き、その瞳は潤んでる。
「それに……こんなに感度も好い……明日からが、楽しみだ」
右手は耳朶を離れ、再び首筋を撫でるように這いながら降りて行くと、胸元の合わせ目から中へ滑り込もうとした。次の刹那、夕子の右手は伝一郎の手首を掴み、その動きを制止させた。
「こ、これ以上は……堪忍して下さい」
幾ら、未通女(おぼこ)とは言え、この先は“ただならぬ仲”以外、許されぬ行為だと察しは付く。
「それより、下に参りましょう」
一転、毅然とした口調で約束の履行を促され、伝一郎は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「判ったよ。言う通りにしよう」
「有難うございます」
伝一郎は、夕子を従えて女給逹の待つ食堂へと向かった。
(まあ、良いさ。楽しみは先に伸ばした方が格別だろうし、それに……)
食堂への途中、夕子は伝一郎の背中を追っていた。
だが、夕子は一瞬、足が鋤くんで歩けなくなる。彼の背中から、禍々しい何かを感じ取ったからだった。