京子と智美-2
週末に、
学校から一度家に帰ってから、迎えに来た濃紺のBMWに乗り込む。
パジャマと歯ブラシを入れたバッグを持って。
島津家の大きな邸宅。
智美の話では、
島津家は工作機械の大手メーカーで、世界的にも知られたブランドらしい。
智美のお父さんのお兄さんが経営トップで、兄弟で手腕を振るっていたそうだ。
智美のお父さんは、まだ若かったのに病気で急逝した。
お父さん兄弟は大変仲が良かったそうで、
亡くなった時は大きな社葬が執り行われたらしい。
智美も長く学校を休んでいた。
遺された家族。
智美とお母さんについては、
お父さんの持っていた自社株やらの遺産があるから、全く心配は無いそうです。
お父さんのお兄さん、智美の叔父さんがとても良くしてくれるそうだ。
でもこれからは、お母さんを支えて、自分でやっていかなきゃならない。
不安もあって、私に甘えてくるのだろう。
私は、自分なりに智美を支えてあげようと思う。
車寄せで、
後部ドアを開けてくれた運転手さんにお礼を言って車を降りると、
智美が表に迎えに出て来てくれた。
「この車のこと父親に話したら、
普通このクラスの車を所有する人は、ベンツを買って後部座席専門になるんだって。
BMWは自分で運転するのが前提だから、
智美のお父さんは相当に好きな人だったんだろうって」
お父さんの話が出て、智美は顔を輝かせる。
「こっち来て!見て!」
私の腕に抱き付いて、有無を言わさずガレージの方に引っ張って行く。
お父さんにもこんな調子だったんだろうと、思わず苦笑する。
親しくする友人が意外に少ないのも、なんとなく分かる。
智美は、入れ違いでガレージから出てきた運転手さんに、一声かけて中に入る。
さっき乗って来たBMWが収まってる。
智美が指差す。
「この車はいずれ手放しちゃうの。
主にお仕事のお客様が来たとき用だし、家族全員で乗ることはもう無いから」
「淋しいね」
「でも、アレは私が乗るの」
智美が指差す先、
広いガレージの薄暗い奥に、鈍く光るブルーの車が佇んでいる。
「わぁ…。なんか凄い…」
お尻にボリュームのある、グラマーな車。
鮫かシャチのような第一印象。
猛烈な力を秘めてそうで、ガブリとやられそう。
後ろに回り込むと、トランクにMの意匠のバッジが付いてる。
「M…。オープンカーかな?」
「うん。BMW Z3 M Roadster。私と同い年なの」
「あれっ?確かFender Rhodesはお父さんと同い年…」
「そう!この子は、私のきょうだいなの!」
「はえー…。洒落た事するお父さんだよ…。金かけてまぁ…。
なんか速そう。普通の車と違う雰囲気ある」
「お父さん、たまにサーキット走行会に行ってた」
「これを?智美が?運転するの?」
「うん。お父さん気に入って大切にしてたし、
小さい頃から乗せて貰って、想い出たくさんあるから。
夜にオープンにして高速道路を走ると、飛んでるみたいだよ」
「ふーん…」
サイドウインドウ越しに車内を覗き込む。
左ハンドル。黒い、革のシート。
「これマニュアル車じゃない?変速レバーがウチのと違う」
「そう言えばお父さん変速してたな…。私、運転出来るかなぁ?」
「最初は安い中古の、コスってもいい車買って乗ればいいんじゃない?
場所はあるし、自信が付いたら売ればいいんだし」
「そうだね。同じ車がいいな」
「座席が二つしかないから、買い物向きじゃないね。
お米とか牛乳とか重いものどうすんの?」
「トランク付いてるし、全部届けて貰ってるよ?」
「あっ…、そう。お客さん来た時に困るんじゃね?」
「その時はハイヤーを呼べばいいよ」
「そ、そうね」
智美は、Z3 M Roadsterの艶やかなボンネットに、静かに指先を降ろす。
獰猛な猟犬を御するように。
「きっと、この車にしかない面白さがあるんだと思う」
「Fender Rhodesみたいに?」
智美は顔を輝かす。
「そしたら京ちゃん、隣に乗ってくれる?」
「いいよ。オープンカーかぁ、カッコいいなぁ」
智美は私の腕を胸に抱く。
智美と付き合い初めて、私の人生は今までと変わっていく。