8.家族-1
香代と拓也は連れだって、駅前の通りを歩いていた。
香代が額の汗を拭いながら言った。
「この界隈、四年近くも住んでたのに、あんまり馴染みがない感じ」
「ほとんど外出してなかったからじゃない?」
「そうね。買い物する時の表のスーパーと美容室と裏のマッサージ店ぐらいだったものね、よく行ってたの」
二人は一本のひっそりした路地に入り、かつて香代がリカと一緒に住んでいたアパートの前で足を止めた。
「もう、誰か違う人が住んでるのかしら……」
「そうかも」
「まだそんなに経ってないのに、ずいぶん昔のことのように思えるわ」
「実はね」拓也が照れくさそうに言った。「君がここに住んでる、ってことで、僕はこの辺りをよくうろうろしてたんだ」
「そうなの?」
「うん。わけもなく」拓也は笑った。「でもそれじゃあまりにもわざとらしいから、無理に理由をつけるために角のパン屋でよく買い物してた」
そのパン屋のドアには「店休日」という木の札が掛けられている。
「決まってコロネとあんドーナツを買ってた」
「甘い物ばっかり」香代は笑った。
「時々持ってきてあげてたでしょ?」
「いつも自分だけで食べてたじゃない」香代は笑った。「そんなのばっかり食べてたらメタボになっちゃうよ、拓也」
「香代にコントロールしてもらわないとね。バランス良く」
拓也はウィンクした。
二人は駅に足を向けた。
「お義父さんの好きな焼酎がこの下に売ってるんだって?」
「そうなの。今は青葉通りの『酒商あけち』にも置いてあるけど、以前はここにしかなかったの。わざわざ買いに来てらっしゃったわ」
「買って帰ろうか」
二人は駅ビルのエントランスから中に入り、エスカレーターで階下に降りた。
地下一階のフロアは食品類を中心に土産物、酒類、スイーツなどの店が並び、多くの客で賑わっていた。
香代が拓也の手を引いて中華の総菜が並べられたショーケースの前を歩いている時、すぐ近くで声がした。
「香代さん」
香代は思わず足を止めて振り向いた。
「リカさん!」
背後の総菜屋のレジの横から、三角巾を頭に巻いたリカが身を乗り出して笑顔で手を振っていた。
「こんなところで働いてたのか」
拓也も嬉しそうに言った。
「相変わらずラブラブね。で、ちゃんと結婚したの?」
香代は恥ずかしげにうなずいた。
「エッチはまだ、なんて言わないよね?」
リカはあははは、と笑った。そして奥のフライヤーで額に汗しながらエビの天ぷらを揚げていた男性に振り向いて言った。
「店長、15分休憩しまーす」
香代と同じぐらいの歳格好のその男性はリカを睨んで言った。
「えー、困るなー。ただでさえ従業員少ないのに」そしてすぐににっこり笑顔になって言った。「いいよ、お友達かい? ゆっくり話しておいで」
「あざーす!」