6.心の奥底-2
元の家に戻ることをしきりに躊躇う香代の代わりに、拓也は一人『志賀工務店』を訪ねることにした。
拓也はたばこ臭い事務所の所々にふせのあるソファで待たされていた。
やがて威勢の良い足音を立てて建蔵が奥から姿を現した。
「わしに用かい?」
拓也は思わず立ち上がり頭を下げた。
「突然お邪魔して申し訳ありません。私は姫野拓也と申します」
「座って下さい」
建蔵は言った。
失礼します、とまた頭を下げて拓也はソファに浅く腰掛けた。
「お約束の四年が過ぎたので、香代さんがこの家に戻りたいと仰ってるのですが」
拓也がその言葉を言い終えるのを待たずに、建蔵はいきなり立ち上がり、大声を出した。
「帰れっ!」
拓也は驚いてその老主人を見上げた。
「おまえがあの女の男か! 二度と来るな!」
建蔵は恐ろしい形相で拓也の腕を掴み、事務所のドアから外に追い出した。
「もうあの女とは縁を切っとる。わしの耳にあの女の名を聞かせるな! 消え失せろ!」
言い知れぬ恐怖さえ感じて、拓也は逃げるように事務所を離れた。
拓也は困惑していた。
マンションに戻った彼は、このことを香代に話すべきか迷っていた。
買い物から帰った香代が、部屋のベッドの端に腰掛け考え込んでいる拓也の姿を見るなり言った。
「どうしたの? 拓也君」
「香代さん……」
「なにか……あったの?」
不安げに言って香代は拓也の前に座った。
「うん」
拓也は香代から目をそらした。しかし、すぐにもう一度香代の目を見つめながら言った。
「実は……お義父さんに門前払いされた……」
「えっ?」
香代は正座に座り直して拓也を見上げた。拓也もベッドから降り、香代の前に正座をして向き合った。
「約束の四年が経ったから帰りたいと仰ってます、って伝えたら、いきなり帰れ、ってものすごい剣幕で……」
拓也は申し訳なさそうな顔をした。
「そう……なの」香代はうつむいた。「しかたないわね。あの子をほったらかして出て行ったんだから……お義父さんが私を許してくれるはずがないもの……」
拓也には返す言葉が見つからなかった。
「もういいわ、拓也君、ありがとう。嫌な思いをさせちゃったね……」
長い沈黙の後、香代が小さな声で言った。
「拓也君、お願いがあるの」
拓也は顔を上げた。
「なに?」
「私を……抱いて欲しいの」
「え?」
「私、もう貴男しか帰るところがないから……」
「香代さん……」
「数え切れないぐらいの男の人に抱かれた私だけど……」
香代は潤んだ目で拓也を見つめながらその首に腕を回した。
拓也は香代の耳元で囁くように言った。
「僕、ほんとは……」拓也はごくりと唾を飲み込むとさらに小さな声で続けた。「ずっと貴女を抱きたかった……」
「嬉しい……」
「いいの?」
「抱いて……」
元々拓也の使っているそのベッドは、二人で暮らすようになって香代が一人で使わせてもらっていた。今まで一度も二人がこのベッドで一緒に休んだことはなかった。拓也の方がそれを頑なに拒んでいて、自分は毎晩カーペットの上でシュラフにくるまって寝ていたのだった。
そのベッドの上で、香代は着ていた春物のセーターとスカートを脱ぎ、躊躇うことなく下着姿になった。
拓也も無言のままズボンとシャツを脱ぎ去り、香代と向かい合った。
それから二人はどちらからともなく唇を重ね合い、お互いが身につけていた最後の一枚を脱がせ合った。
拓也は仰向けになった香代のうなじに唇を這わせ、髪を撫でながら二つの柔らかな乳房を両手でさすった。
ああ、と甘い声を上げながら香代は身をよじらせた。そして自ら両脚を広げた。
拓也は決心したように自分のペニスを手で握ると、香代の谷間に押し当てた。そして中に入ろうと試みた。
しかし、そこはひどく乾いていて、拓也のものを受け入れることができなかった。
「ローション……」香代が小さく言って身体を起こした。
拓也は香代から身を離し、うなだれてベッドの端に座り直した。
「やっぱりよそう」拓也は力なく言った。
「大丈夫、ローションさえあれば、私、」
「香代さん、」拓也は香代を優しく抱いて静かに言った。「貴女が心から僕を受け入れることができるようになるまで待つよ」
「受け入れられるわ。大丈夫、私貴男を、」「いや、」
拓也は香代の言葉を遮って言った。「たぶん貴女の心の奥に男性を受け入れることを拒否する気持ちが残ってるんだ」
香代は涙を浮かべていた。
「ごめんなさい……」
「身体が男を受け入れることを拒否している。僕は何となく感じる」
「違うの、私拓也君と一つになりたい、これは本当の正直な気持ち」
「ありがとう」拓也は寂しげに笑った。「それはわかる。貴女が僕を心から許してくれていることはとってもよくわかる。でも、貴女の中の何かがそれを阻んでるんだ」
香代は洟をすすりながら言った。
「AVの世界にずっといたから?」
「……わからない」
「貴男と何日も過ごしているうちにできるようになるかな……」
香代は子供のように泣きじゃくっていた。
拓也はため息をついた。
「ねえ、拓也君、私を見捨てないで……」
「見捨てたりしないよ。僕も貴女をもう手放す気にはなれない」
拓也はそっと香代に唇を重ねた。しょっぱい涙の味がした。
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