3.救済者-1
香代にとって初めての撮影から二週間が経った頃、次の仕事の依頼が来た。黒田からのメール文には、台本は拓也が届けるとあった。それを知って香代の胸の中に温かいものが穏やかに広がっていった。
拓也は事前に電話をして、約束通りその晩、香代を訪ねた。
「こんばんは香代さん。夜でもまだ暑いですね」拓也の頬を汗の粒が流れ落ちた。
香代はその拓也の少し恥じらったような顔を見て、思わず頬を緩めた。
「はい、これが台本」
拓也は香代にステープル止めされた薄い冊子を手渡した。
「これも同じ『クリエイト・えろす』の制作作品だけど、今度はちゃんとした男優だよ、相手役。俺もよく一緒に仕事するヤツだから心配ないよ」
「そう。ありがとう」
「内容はやっぱり主婦の寝取られものだけど、黒田社長と違って真面目に演技でやってくれるから、貴女も安心してやれると思うよ」
香代は躊躇いがちに言った。「ねえ、拓也さん」
「なに?」
「ちょっと寄っていかない? 中、涼しくしてるから」
拓也はにっこり笑った。
「いいの? お邪魔しても」
「少しお話がしたいの」
香代は拓也をいつものリビングではなく、自分の和室に通した。
「へえ、こんな部屋で暮らしてるんだね、香代さん。リカの部屋と違って質素だな」
「居心地いいわよ、けっこう」
「そう?」
「リカさんの部屋に入ったことあるの?」
拓也は肩をすくめた。「数回ね」
香代は上目遣いで拓也を見た。「何の用事で?」
「ちょっとした仕事の話だよ」
「……そう」
香代はトレイに乗せた麦茶を拓也の前に置いた。
「拓也さんは28って聞いたけど、ずっと若く見えるわ」
「そう? まだ成長してないってことかな」
拓也は恥ずかしげに頭を掻いた。
「ずっとこの仕事してるの?」
「うん。大学在学中からバイトでこの世界に。友達にはエロカメラマンって馬鹿にされるけどね」
「ちゃんとした仕事だと思うわ。私たちと違って……」
「なんで? 香代さんやリカの方がすごいよ。だって身体を張って仕事してるんだから」
香代はトレイから自分のコップを持ち上げ、うつむいて、また上目遣いで訊いた。
「リカさんとは仲良しなの?」
「仲良しってほどじゃないよ。でも僕がカメラマンを始めた時から時々一緒に仕事してる。古い同僚ってとこかな」
「……そう」
香代は麦茶を一口飲んだ。
「拓也さんは一人で暮らしてるの?」
「うん。そうだよ」
「ご両親と離れてて寂しいでしょう」
拓也は不意に香代から目をそらした。
「お母さんの方が寂しがってらっしゃるかもね」
ふふっと笑って香代が拓也の顔を見上げると、彼は難しい表情でうつむいていた。
少し気まずい思いで、また香代がコップを口に持っていった時、拓也が口を開いた。
「ねえ、香代さん」
拓也は妙に真面目な顔で香代の目を見つめていた。
「はい?」
「良かったら僕に詳しく話してくれない? 貴女がここに来た理由」
香代はコップを持った手を膝に置いて黙り込んだ。
拓也は慌てて言った。「あ、ご、ごめんなさい、話したくないことなんだね」
香代は顔を上げ、首を横に振った。
「嬉しい……」
その目には涙が浮かんでいた。
「貴男にも知って欲しかった……」
「香代さん……」
それから香代は拓也に、夫が亡くなってから黒田厚子に呼び出されたこと、夫の同級生の林から借金の話を聞かされたこと、黒田社長から直にAV女優としての契約をさせられたことなど、今まで自分の身に起こったことを何もかも吐き出すように話した。
ただ黙ってその話を聞いていた拓也は、持っていた麦茶のコップをトレイに戻し、そっと香代の手を取った。
「かわいそうだ……香代さん」
香代は黙っていた。
「貴女は何も悪くないのに、こんな目に遭っている貴女がかわいそうだ。それにお母さんに会えなくて寂しい思いをしてる息子さんも……」
拓也の瞳には涙が揺らめいていた。
「なんで貴男が泣くの。同情してくれてるの?」
「僕……貴女を守りたい。守らなきゃいけない気がする」
香代は震える声で言った。
「な、なによそれ。うわべだけの同情はやめてよ」
「たぶん……同情じゃない……と思う」
拓也はまたあのファインダー越しの香代のまなざしを思い出していた。そしてその時感じた胸の奥の熱っぽさも。
「貴女が僕に向けた目……助けて欲しいって言ってた」
「何言ってるの。ばかみたい。私、言われた通りにカメラを見つめてただけよ」
香代は拓也から目をそらし、こぼれる涙を指で拭った。
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