3.救済者-5
市内で一番賑やかな商業地区、すずかけ三丁目にカントリー風の大きなチョコレートハウスがある。創業20余年を数える『Simpson's Chocolate House』だ。常連客が名付けた『シンチョコ』という愛称が今では通称になり、その前庭にすらりと立つひときわ高いプラタナスの木は、『志賀工務店』のケヤキと並んで町のランドマークとしての威容を誇っている。
現在の店のオーナーはケネス・シンプソン(38)。父親アルバートがカナダから来日し、この場所に開業させた時、彼は18歳だった。中学の頃からカナダでも優秀なスイマーだったケネスは、17歳の時日本にスポーツ留学生としてやってきて、すずかけ高等学校の水泳部に所属していたことがある。その時に親しくなった同校水泳部員だった海棠ケンジとは今でも深いつき合いがある。その縁でシンプソン一家は家業のチョコレートハウスをこの町に出店することにしたのだった。そのケンジは現在同じ三丁目の『海棠スイミングスクール』のオーナーを妻ミカと共に務めている。
香代の住むアパートは駅の近くだったが、すずかけ三丁目はそこから大通りを南東に6km。篠懸川に掛かるすずかけ大橋を渡ってすぐの、車で15分ほどの道のりだった。
拓也の運転する白い軽自動車の助手席に座った香代は、大きなサングラスを掛けて濃いオレンジ色のルージュをさしてニットの帽子をかぶっていた。
「ごめんなさい、ケバいメイクよね」香代は自嘲気味につぶやいた。「なんか犯罪者みたい」
「こっちこそ。無神経に街に誘っちゃってごめん」
「いいの。なんか久しぶりでわくわくするわ」
香代はにこにこ笑いながら運転する拓也の横顔を見た。
「そうそう、拓也君」
「なに?」
「貴男がカメラマンを務めた作品が売れる理由がわかったわ」
「何ですか、いきなり」
拓也は意表を突かれて思わず丁寧な口調で応えた。
「こないだの私の作品、観て確信したの。前のDVDを観てもそう思ってたの。自分の肌って、こんなにきれいだったっけ、って」
「香代さんの肌は元々きれいじゃない」
「リカさんにも訊いたら同じこと言ってた。それは拓也君のマジックだって」
「そ、そう」
拓也は恥ずかしげに頭を掻いた。
「でね、私この前の撮影の時にセカンドカメラを務めてた山田君に訊いてみたの」
「山田に?」
「貴男がその後もう一本の作品を撮るために、先に現場を離れた後に」
「ねえねえ、山田君、拓也君のカメラで撮った女優って、みんな肌がきれいに写ってるように感じるんだけど」
山田は撮影の終わった機材を片付ける手を休めて香代に向き直った。「そう! そうなんすよ」
「何か秘密でもあるの?」
「カメラにはホワイトバランス調整っていう機能がついてるんすけど、」
「ホワイトバランス?」
「そ、白い物をちゃんと白に見えるように前もって設定することっすね」
「なんでそんなことするの? 白い物は白く写るんじゃないの?」
と思うでしょ、と山田は指を立て、言った。「例えば白いマグカップも黄色っぽい照明だと黄色に見えるでしょ?」
「そうか、そうよね」
「でも人間の目は無意識にそれを白、って判断して見てるんすよ。灯りの色を元に脳内で調整する。でもカメラはそんなに器用じゃない。」
「なるほどね」
「だから僕たちはそれを撮影前に微調整して、ビデオを見る人が違和感を持たないようにするってわけなんすよ」
「大変なんだね、カメラマンって」
「で、」山田は香代に身を乗り出して目を輝かせた。「こっからが拓也先輩のすごいとこなんすけど、」
「うん」
「あの人は女優さんの肌が一番きれいに、透き通って見えるように調整してるんす。しかもカット毎に」
「そうなの?」
「作品によっては黒ギャルが主演のものみたいに、肌の色の特徴をウリにしてるものもあるんすけど、そのウリを壊すことなく、艶やかで張りがあって、みずみずしい肌の色にしてしまう。もう神っすよ。僕たちの間では拓也先輩は『肌色マジシャン』って呼ばれてます」
「すごい人なのね、拓也君って……」
「おまけにあのカメラワーク。流れるようなティルトやパン、なめらかで加速度を微妙に変化させるズーム。それに見る者が見たいという画を完璧に判断して撮る。僕なんか何年かかってもあんなことできない。間違いなくAV界のトップ・カメラマンっすね」