1.自分との決別-8
10時頃から撮影の準備が始まった。香代たちのアパートに黒田社長と林、機材の入ったジュラルミン製の大きな箱を抱えた若い男性が三人、そして宅配便の制服を着た背の高い男性がやってきた。
「おはようございます」
宅配便の制服の男性がリカに近づいて握手を求めた。リカは嬉しそうに微笑んだ。
「いらっしゃい。待ってたのよ一郎君」
「今回もよろしくお願いします」
そのリカのお気に入りという男優は着ていた服を整えてドアの脇に立った。
「おお、香代さん」
黒田が香代に気づいて近づいてきた。
「髪型を変えたと聞いたが、ずいぶん魅力的になったじゃないか」
「ほんとですね」ソファの後ろに立っていた林も言った。「まるで別人だ。この外見なら、もしご家族に会っても気づかれないでしょうな」
香代の胸に針が刺さったような痛みが走った。
「あ、そうそう林さん」香代は言った。「家族への手紙、書きました。持ってきます」
香代は自分の部屋から封筒に入れた家族への手紙を急いで持ってきて林に手渡した。
「よろしくお願いします、林さん」
林はほんの少し眉を動かし、それを受け取った。
「私が責任持ってお届けしますよ、香代さん」
そして林はそれを懐にしまった。
「あんたも見学していなさい。拓也のカメラの所から見るといい」
黒田は香代にそう言って、カメラ用の三脚を広げていたスタッフを顎で示した。
その拓也と呼ばれたカメラマンは男優一郎と同じぐらいの背丈で、肩の辺りの筋肉が充実した男性だった。香代はカメラマンの仕事をしているとあんなに逞しくなるのかしら、などと考えながらその身体をじろじろと見た。不意にその拓也の目が香代の視線を捉え、彼は軽く会釈をしてにっこり笑い、すぐに作業に戻った。
「そうそう、忘れんうちに渡しておこう」
黒田はそう言って、使い古された皮のバッグから茶封筒を取り出し、香代に差し出した。
「使い方はリカに訊いてくれ」
「これは?」
黒田はその問いに答えず香代から離れ、男優が持っていた台本に目をやりながら所々指さして彼に指示をし始めた。
その間、やって来た三人の若いスタッフは機材をソファの後ろに広げたり、大きな三脚にカメラを取り付けたりしていた。
「今回の死角はテレビの横だ」
「テレビを入れた画は撮らないんですか? 社長」
「リカたちの演技が終わって、最後に撤収する前に撮る」
ドアの脇に小さなテーブルが置かれ、画像と音声の調整機器とモニターが設置された。黒田はそれを覗き込んだ。
「拓也、ライトの案配はどうだ?」
三脚に乗せられた大きなカメラのファインダーを覗いていた拓也が言った。「もうちょっとソファの背の辺りを明るく照らしてくれないかな」
高い位置に構えたライトをいじっていた、スタッフの中でも一番若く見える男性が照らす位置を調整した。
「うん、それでいい」
やがてセッティングが全て終わり、リカが主演のAVの撮影が始められた。香代は黒田に言われた通りに拓也の構えたカメラの後ろに緊張したように佇んでいた。
――宅配で訪れたサービスドライバーを部屋に招き入れた人妻リカは、受け取った荷物をセンターテーブルの上に置くと、出し抜けに彼に抱きついた。
「あっ! だ、だめです、奥さん」
焦るドライバーをソファに無理矢理座らせ、リカは自分のシャツの胸のボタンを一つずつ外し始めた。
「大丈夫、主人は夜まで帰らないから」
青いストライプの制服を着たドライバーはごくりと唾を飲み込んだ。そしてリカのブラジャーをつけた胸が露わになると、彼は我慢できなくなってリカをソファに押し倒した。
「奥さんっ!」
そして二人は貪るように舌を絡めながら濃厚なキスを交わし始めた。
カメラマン拓也はその様子を滑らかな動きでズームしていき、二人の重なり合った顔をアップにした。カメラ上に突き出た小さなモニターに映し出されるその画を見ながら、香代は自分の鼓動が速くなっているのに気づいた。
先にリカがドライバーの制服に手を掛け、脱がせて上半身をハダカにすると、また二人は重なり合ってキスをした。
「カット!」
いきなり黒田が叫んだ。
「拓也、カメラを手持ちに変えろ、もっとローアングルで撮るんだ」
「わかりました」
拓也はそう言って、三脚からカメラを取り外し、両手で吊すように下げて床のすれすれまで下ろすと、絡み合う二人のすぐそばまで行ってひざまずいた。
「よし、それでいい。セカンドカメラはドアの所から引いて撮れ」
その声に反応したのは少し小ぶりのカメラを抱えた痩せた男性スタッフだった。
「よし、続けろ。用意……アクション!」