〈狂育〉-1
亜季は必死になって藻掻いていた。
赤いマットレスの敷かれたベッドの上に寝転がされているのは変わらなかったし、両方の手首に嵌められた枷は、相も変わらず鎖と協力して逃亡を阻止し続けていた。
両脚が自由を取り戻していたのは意外ではあったが、何故そうなっているかなど今の亜季には興味の外である。
「お…姉ちゃんッ!んくッ…お姉…ちゃん…!」
亜季は愛を呼んではいるが、その声のボリュームは何処か控え目であった。
助けを乞う叫び声は愛だけではなく、あの長髪の変態まで呼び寄せてしまうかもしれない……そんな恐れを抱きながら、なんとかして此処からの脱出を叶えようと試みていた。
『亜季ちゃん、おはよ〜』
「ッ!?」
いつの間にか、あの変態は部屋の中に居た。
ベッドの上に仰向けになっている亜季を見下ろす瞳は無気味なほど穏やかで、右手には銀色の食器トレーを、そして左手には黒く大きなバックを持っていた。
それらをタイル張りの床に静かに置くと、スッと滑るようにして傍に座ってにこやかに笑った。
まるでワープでもしたかのような移動の様だけでも気味の悪いものであるのに、作られた笑顔はそれに輪を掛けて気味が悪かった。
(アッチ行って…ち、近付かないで……)
蛇に睨まれた蛙のように、亜季は息を飲んで凍りついていた。
またこのロリコンを拗らせた異常者が、自分にとんでもなく《嫌なコト》をしてくる……。
まだ今は衣服を着てはいるが、いつまた全裸になって抱きついてくるか分かったものではない……それは体験によって刻まれた恐怖であった……。
『なんであんなにジタバタしてたの?そうか“お兄ちゃん”を探しに行こうとしてたんだね?』
「ッ…!!!」
何故この男は自分が好意を持たれていると思い込めるのか、亜季は不思議で仕方がない。
この怖がって震えている姿が見えていないのだろうか?
この涙ぐんだ瞳の意味が分からないのだろうか?
引き攣り強張る亜季と、嬉しそうにニコニコと笑う男の表情は真逆の感情が成せるものであるし、ならば二人の想いが同一の方向を向くことは決してあるまい。
「お姉ちゃん…ヒック…お姉ちゃん…ッ」
やはり亜季が求める人は、姉である愛しかいない。
この建物の中に囚われている愛に助けに来られる能力が無かったとしても、亜季には愛しか頼れる人がいなかったのだ。