〈狂育〉-5
「ヒック…!もうやだ……ヒック…パパとママのトコに帰りたいよぉ!ヒック…お姉ちゃんに会いたいよぉッ!!」
至極当たり前の、素直な感情を亜季は泣きながら叫んだ。
もう外には出られない。
愛やパパやママにも会えない。
こんな狭い空間に閉じ込められ、気味悪い変態と二人きりで居るしかない。
それは〈怖い〉に付随して〈悲しい〉〈淋しい〉といった感情が強固に絡み付いた《苦しみ》であり、子供である亜季には一層強烈に感じられていた。
『うん…うん……亜季ちゃんの気持ちは分かるよ?その願いはお兄ちゃんが叶えてあげるからね?』
「……ッ?」
スッ…と息を吸い込んだ亜季は、動かなくなった。
まだまだ監禁が続くと思っていたのは間違いなかったろうし、だからこそ拘束が解かれた時に、脱兎の如く逃げ出したのだから。
そんな亜季に今の言葉を信じろと言うほうが無理というものだし、自分の耳を疑ってしまうのもまた無理からぬ事だ。
『亜季ちゃんさ、お兄ちゃんのコト「大好き」って言ってたよね?お兄ちゃんも亜季ちゃんが大好きなんだ。大好きな亜季ちゃんの事を考えるとさ、一旦お家に帰した方がいいって思ったんだよ』
「ッ!?」
端々に可笑しな部分はあるが、この心変わりは亜季の想定していたものではなかった。
心臓のドキドキは逸るように高まり、だが、まだ解放されるのが決まった訳ではないと鎮まろうともしている。
『亜季ちゃん……まだお兄ちゃんのコトが大好き?このままでいいから言ってみて?』
「グズッ……お…お兄ちゃんが…だ、大好き……ズズッ」
ここで本音を言ったなら、間違いなくこの男は意固地になるだろう。
そんな簡単な事は亜季にでも分かる。
辿々しくも嘘を口にした亜季は大人しく腕の中に収まったまま、男の次の言動を注視していた。
『嬉しいな……じゃあさ、お家に帰ってからも、またお兄ちゃんと会ってくれる?』
「ぐッ…んく……ま…また会えるよ……」
そんな思いなど心の片隅にもないと知りながら、長髪男はギュッと強く抱き締めると、亜季の後頭部にキスをしながらゆるりと腕から力を抜いた。
『……いくら相思相愛でもさ、学校にも行かないで一緒に居るってのはマズいよ……そんなのパパもママも許さないだろうし……いくら僕達が愛しあっててもさ、やっぱり駄目なものは駄目だよね……うん』
カクンと項垂れた後、長髪男は両腕を開けて亜季を解放した。
亜季はスルリと腕の中から抜け出し、そしてドアの前まで行ったが、その向こうにある世界に飛び込むわけにもいかず、困惑したように立ち尽くしている。
(やっぱり出て行かないな……いや、出て行けない…か?)
あれだけ殴るだの蹴り飛ばすだの吐きつけられたら、怖くて自分から其所に行こうとは思うまい。
逃げ出したいという思いを強く抱きながら、それを実行に移せなくて立ち尽くしている亜季は、哀しくも滑稽である。