おはよう!-4
夕方、辺りが暗くなり出した頃。
和音は自宅の薄暗いリビングにあるソファーの上で軽く睡眠を取っていた。
午後3時頃にまた目を覚ました波音の熱を測り、微熱まで下がったことを確認して安心した和音は再び夕食となる時間まで寝ているように告げたあと、リビングへと降りた。
その後、午前中に干しておいた洗濯物を畳んでタンスへとしまった後、常備薬を飲んだために眠気を伴った。
特に急いで終わらせる用事もなかったので、睡魔に逆らうことなく眠ってしまったのだ。
波音の体調が落ち着いたことの安心感もあってか、普段よりも睡眠が取れている和音は今、夢の中を彷徨っていた。
何もない、真っ白な空間。そこに漂うのは、自分だけ。
自分の周りを時折、小さな光がいくつも回って、通り過ぎていくのをただ黙って見ているだけ。
その光の中で、少し大きい、金色に輝く光が見て取れた。
「あ・・」と、小さな呟きとともに、和音は思わず無意識に手を伸ばした。
金色の光に届くか届かないか、ギリギリのところで、和音の伸ばした手は優しく、暖かなものに包まれた。
そして、
「かずね・・」
と、自分を呼ぶアルトボイスが響いた。
その声が誰か考える前に、はっきりとした高音の声に変わった。
「かずね姉・・」
自分を呼ぶ声に気づいた時、和音は目を開けた。
次いで、視界に広がったのは少し赤い顔をした波音の顔だった。
「は、波音・・?」
「和音姉、こんなところで寝ちゃうと、風邪ひくよ?」
「あ・・うん、気をつける・・」
そう言った和音は身体を起こした。
起き上がった和音を見て、波音は笑顔になって今日の夕ご飯のメニューを問う。
波音の質問に、和音は少し笑顔を見せながら「卵入りのうどん」と答えた。
和音の料理が好きな波音は手を上げて喜びながら、ダイニングキッチンのテーブルへ席に着いた。
その様子を見ながら、和音は先ほどの夢を思い返していた。
「(・・あれ、誰だったんだろ。あの低い声、どっかで聞いたことある気がしたんだけど・・。)」
聞こえた声の主を考えようとして、波音から夕ご飯の催促が来たのですぐに止める。
そして、波音へ言葉を返しながら、キッチンへと向かった。
「(ま、どうでもいいか・・)」
「ごちそうさまでしたー!」
「ん、お粗末さまでした」
ちゃんと両手を合わせて、笑顔で言う波音に、笑みを浮かべて同じく両手を合わせた和音が答える。
ふたり分の食器を重ね、流しに置いてある水を張った大きなタライへ入れる。お手伝いを申し出た波音をやんわり断り、部屋へ戻って薬を飲んでから寝るように告げる。
後片付けの手伝いができないことに不服がある様子だが、和音の言葉に素直に従う波音。
テーブルを布巾で拭きながら、
「波音、熱計ってから部屋に上がって」
と片手で体温計を渡す。
波音は「はーい」と軽く返事をして、体温計を受け取るともう一度椅子に座って体温計を口に入れる。10秒ほどして、小さな電子音が鳴った。
自分の口から体温計を抜き取った波音は電子パネルを見て、喜びを露にする。
「和音姉!熱下がったよ!」
ホラっ!と嬉しそうに体温計を見せる波音を微笑ましく思いながら、確かに平熱に戻っていることを確認した和音は波音の頭を撫でた。
「うん、下がったね。だけど、今日はしっかり寝ること。いい?」
「はーい!」
洗い物を始ようとする和音に気遣い、テーブルへと体温計を戻した波音は部屋へ戻るためにリビングを出た。
おとなしくリビングを出た波音を見送り、和音は洗い物と明日のご飯を炊く準備を始めた。
しかし、すぐにそれを中断した。
「・・一応、熱が下がったこと、母さんに言っとくか・・」
どうせ今日も帰ってこないだろうと思った和音は、ソファ−に置きっぱなしにしていた携帯電話を取って画面を開く。
何件かメールが届いていたが、片付けなどが残っているのにメールのやり取りが長引くのが面倒だと思ったために、ひとまず全部無視して電話画面を開いた。
予想したとおり母親からの連絡は来ていないので、メールを見ていないと思ったからだ。
どうせ、繋がらないなら留守番電話にメッセージを残しておけばいい。
そう思った和音は今度は躊躇いなく、母親へと電話をかけた。
「(・・どうせ、出ないだろうけど)」
電話がかかっている状態のケータイを耳に当てると、相手を呼び出すコール音が聞こえてくる。
和音の予想では、コール音がずっと続くと思っていた。
こうなっているいつもなら、母が電話に出たことは一度もないのだが。
《・・ブツッ》
「・・!!繋がった・・?」
思ってもない状況に、動揺と少しばかりの喜びで和音の手に力を込めさせた。
しかし・・・
『・・ゆかちゃん、電話誰?』
『・・・知らない人、だから切っちゃった。』
『いいのかい?』
『えぇ、今は裕司さんといたいもの・・』
《ブツッ》
「・・・・」
和音は衝動的に電話を切った。予想していたとは言え、精神的にくるものがあった。
何が嬉しくて、自分の母の浮気を垣間見なくてはならないのか。
どうせ、今の電話も相手が和音だと分かっていて電話を繋げたのだろう。邪魔をするなという意味で。