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早く帰って、もう一度風呂にでも入って、もう眠ろう。明日も一時限目から講義がぎっしり入っている。と、缶コーヒーを飲みながらアパートの前までくると、僕は誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
夜の公園は昼間の騒がしさが嘘のように、無言で街灯に照らし出されていた。
「・・・」
僕の視線は、公園の一番奥に注がれた。
あれは、何だ。心臓が、ざわりと音を立てた。親に連れられた近所の子供達が、いつも遊んでいる砂場。そこに何かがある。
一瞬、子供かと思った。しかしこんな時間に、いるはずがないのだ。でもあのシルエットは、決して大人ではない。好奇心に背中を押されるように僕は公園の中へ入り、砂場へ向かった。
予感は、あった。
この感覚は、過去に何度か経験しているものだった。そう。心臓がざわつき、気持ちが狂ったようにはじけだす。よく知っている感覚だった。こういう時の僕は、決まって死体を見つける。
それが何であるかを理解した瞬間、僕は彼女を見下ろした。やっぱり死体だった。
子供の影だと思ったそれは、砂場に押し付けられるように立てられた上半身で、下半身はその隣りに横たえられていた。彼女の顔は真上を向いていた。残念ながら、目を合わせることは出来なかった。眼球が両方ともくりぬかれ、そこには砂が詰め込まれていた。口はあごが外れたように力無くぱっかり開き、舌が、まるで夏場の犬のように横からだらりと垂れ下がっていた。
歯はすべて抜き取られ口の中に入れられていた。長く、闇に溶けそうなほど黒い髪の毛は肩よりもわずかに上で切られ、一束ずつ両手に握らされていた。よく見ると、眼球もその上にのせられている。
不思議なことに、服にこびりついた血の跡以外は、特に目立った汚れは見当たらなかった。彼女を殺した人物が拭きとったとしか考えられない。
上半身の立っている周囲には、元は内蔵だったものが巨大な蚯蚓のように濡れながら、散らばっていた。
僕は真っ二つになっている彼女を見つめた。 この服装。顔付きから予想して、まず間違いない。彼女は数時間前に僕のアパートを出たはずの、志摩裡里だ。
裡里の葬儀は、ひっそりと行われた。
空は仄暗く曇っており、空気は湿り気を帯びていた。昨夜降った雨で雪は消えており、道端の隅っこにだけ泥と交じった塊が、辛うじて残っている程度であった。参列者の姿も少なく、しかも訪れている者たちのほとんどが、見たこともない大人たちばかりであった。 僕が見た限りでは、大学の同級生は一人も見当たらない。
「みんな、親戚なの」
僕の隣りで肩を並べていた美里が、ぽつりと言った。姉の死に、どれだけ泣いたのだろう。喉はひどく乾いている様子で、トーンも低い。考えてみれば、僕は裡里の死から、まだ一度も涙を流していなかった。おそらく、これから泣く、ということもないだろう。
僕の網膜には、裡里の屍が鮮明に焼き付いていた。あの殺され方は、殺す側の精神状態をもろに反映している気がした。犯人像については、この数日間、ワイドショーなどでも最高のネタとして扱われていた。
「犯人は、まだ見つかっていないよね」
久しぶりに着たスーツのポケットへ両手を突っ込んだまま、僕がきく。美里は、無言で頷く。長い髪の毛が、うつむきがちな彼女の顔を半分ほど隠している。
「僕はもう帰るけれど、事件のことで何か分かったら知らせてもらえるかな」
犯人に興味があるんだ、ということは伏せたまま美里にお願いすると、僕は自分の携帯番号を彼女に伝えてその場を去った。
空からは、再び雨が落ち始めていた。
久しぶりに大学へ顔を出すと、裡里についての話題はたえてはいなかった。特別、友達でもない同級生からは同情の言葉をかけられ、それをきっかけに事件の詳しい真相をきいてくる者もいれば、あからさまに興味本位で近づいてくる者もいた。中でもたちが悪かったのが、犯罪心理学のゼミに在籍している連中で、彼らは自分たちの見解を織り混ぜながら、事件の話をしつこくききたがった。こうなることが目に見えていたから大学を休んでいたというのに、ちっとも効果がなく、そのことに僕は内心で落胆していた。
講義を受ける気持ちもすっかり萎えてしまい、とりあえず僕は教場の隣りにある喫煙所へ移動した。歩きながら煙草をくわえて火をつける。ため息が白い煙となって、
吐き出された。長椅子の上の、ヤニで汚れた壁にかけられた丸時計が、三時を指していた。