From Maria-1
昔がどうだったかは知らないが、今時の学生で真面目な受講者は稀だ、と僕は思う。
少なくとも僕が在学する大学で、黒板の文字をこつこつとノートへ書き写している生徒なんて、今日までほとんどお目にかかったことがない。机に突っ伏して寝息をたてたり、体をねじって周囲と雑談をする者も何人かいたが、広い教場内で圧倒的に数を占めていたのは携帯電話をいじっている人間だ。
すぐ隣りに友人がいるのにもかかわらず、彼らは遠くの誰かと文字でつながるために、せっせと携帯の小さなキーを押してはメールの送受信を繰り返す。以前は、着信音が鳴る度に厳しく注意する教師もいたけれど、最近ではそれもほとんどなくなった。
この人数だ。怒る方も、きっとばかばかしくなったに違いない。
僕もまた他の学生たちと同様、携帯電話を手放せないタイプだったので、講義中での使用が黙認されるようになったのは、とてもありがたいことだった。一時限九十分という気の遠くなる講義の最中、いつも僕は同時進行で、二、三人とメールのやり取りをする。特別な内容でもない、ほんの数行からなる、ありきたりな会話。しかし人と顔を合わせて会話をしたり、電話をすことが極端に苦手だった僕にとって、メールだけが自分と、自分を取り巻く世界とつなげてくれる唯一の手段のように思えたのも確かだった。
「相変わらずメール好きだね。尚喜」
不意に隣りから声をかけられて、僕は携帯画面から目を離した。
「たまには真面目にノートとったら?テストで困るわよ」
さっきまで寝ていた奴が、よく言うものだ。自分だって毎日、ほとんどまともに講義を受けていないくせに。机に突っ伏し、半分まどろんでいるような顔をこっちに向けたままの彼女と目が合うなり僕は苦笑した。
「そういう事は、その居眠りの癖を治してから言った方がいいよ」
視線を戻して再びメールを打ち始める。
「隣りに恋人がいるのに、無視して他の誰かとつながるんだ。最低」
そういう君は彼氏が隣りにいるのに、いつも寝息をたてているじゃないか。危うく口をついて出そうになった言葉を僕は飲み込み、かわりにこう返事を返してやる。
「今夜はバイトもないし、ゲーセンにでも行こうか。もちろん食事にも」
言った後で、沈黙が降りた。盗み見るように隣人へそっと目を向け、肩を落とす。
彼女は笑みを浮かべたまま、再び眠りの世界へ落ちていた。
彼女−志摩裡里とは大学へ入ってから、すぐに出会った。必修科目だった講義を受ける際、偶然、隣りに座ったのが彼女だった。腰まで届きそうな、黒光りする漆黒の髪の毛。背丈は女性のわりにすらりと高い。顔立ちもはっきりしていて、肌も眩しいくらい白く美人だ。ファッションセンスも悪くないと思う。自分というものをよく理解していなければ、ここまで見事なコーディネートは不可能なのではないだろうか。
にもかかわらず、彼女に対して抱いた僕の第一印象は、ひたすら寝る人、だった。
その日も彼女は席につくなり机に顔を伏せて時間いっぱいに眠っていたし、翌日もその次の日も次の週も、だだっ広い教場に学生達がひしめきあう中、よくここまで
昏々と眠れるものだと本気で感心してしまうくらい、眠りをむさぼり続けていた。そこからどういうきっかけを踏んで現在の関係にまで発展したのか、実はよく覚えていない。とにかく僕らは、いつからか恋人同士という間柄になっていたわけだが、正直な話、あれから一年経った今でも、僕は起きている裡里よりも瞼をとじた彼女の方を多く記憶している。
今日の講義を終え、僕らは一旦、お互いの自宅へ戻ることにした。
場所は最近になってオープンした、ハンバーグレストランの前。約束は六時。
すでに先にきてしまっていた僕は、腕時計を確認する。六時を少し回っていた。そろそろ彼女が現れる頃だ。